☆ 技術と人間の未来 ☆


 技術の進歩は人間社会にどのような影響を与えるだろう。

 技術の進歩は副作用があるが、それを適当に制御すれば人間社会は改良され、人々の生活は良くなるという考えがある。現代人の多くが、基本的には、この考えに賛同している。学者や思想家では、ケインズがこの考え方を取っている。大恐慌の1930年前後、ケインズは適切な経済政策と技術進歩で、100年後には経済問題は解決され、人々は精々週15時間も働けば必要なものを手に入れることができるようになると予言した。

 資本主義という社会体制では、技術の進歩は労働者の仕事を奪い、労働者を苦しめる。しかし、技術の進歩そのものは、労働者の労苦を軽減し、自由時間を増やし、創造的な生活を可能とする。資本主義を廃棄し共産主義を実現すれば技術の進歩は人間に明るい未来を約束する。マルクスはそう考える。

 技術の進歩は、表層的には、人々の生活を良くする。しかし、技術は、自然を自分たちの都合の良いように捻じ曲げ、その本来の姿を破壊する。こういう考えがある。ハイデガーの技術に対する思想がこれに近い。先の二つの思想が、共産主義革命の必要性の有無に対して意見が分かれるとは言え、技術の進歩に対して肯定的であるのに対して、この思想は基本的に、懐疑的、批判的な評価を下す。

 共産主義運動が頓挫し、マルクスの思想に共鳴する者は減った。その結果、技術進歩に肯定的か否定的か、考えが両極化している。だが技術進歩が、生産性を向上させ、食糧を増産し、生活環境を改善して多くの病気を克服したことは間違いない。幼児期に死亡する者は減り、寿命は延び、人口は急増している。それゆえ技術進歩の意義を否定することはできない。一方で、環境破壊や大量破壊兵器の存在など技術に懐疑的にならざるを得ないような現実があることも否定できない。それゆえ、技術の進歩を手放しで称賛できないし、かと言って否定的に捉えることもできない。

 おそらく、技術の進歩は、科学の進歩と相俟って、基本的には人間社会を改善し、人々の生の可能性を高める。だが、それを円滑に運用するには、二つの改革が必要と思われる。制度的な改良と思想の変革だ。共産主義革命が必要だとは思わないが、利益追求を第一目標として経済活動が展開される現代の経済体制では、技術の好ましい発展と活用には限界がある。社会的に有意義な技術が開発、利用されず、社会に有害な技術がしばしば開発、利用される。主流派経済学は、法的規制、課税又は優遇税制、補助金、国家による研究開発などにより、良い技術の進化を促進し、悪しき技術の抑制が可能だという。しかし、それほどうまくは行かない。事実、上手く行っていないことが多い。やはり社会制度の抜本的な改革は避けられない。また、もう一つ、思想の変革が必要だと思われる。極端な技術否定論や懐疑論、専ら哲学的思弁に依拠する技術有害論は意義に乏しいが、現代人の多くが安易な技術肯定論に流されていることも否定できない。本論では技術進歩の社会的影響について3つの立場を紹介した。いずれの立場も一理あり、同時に完全に正しい立場はない。特定の立場に拘ることなく思想を適切に使い分けること、それが必要となる。それはしばしば節操がないと批判されるのであるが、それだけが正しい道だと思われる。


(H28/12/4記)


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