☆ 便利と貧しさ ☆


 寝る前に鏡を見たら髭が伸びている。シェーバーで剃ろうとしたら、故障して動かない。数日前から動きが悪く買い替えようかと思っていた矢先だった。時計の針はすでに0時を回っている。諦めて寝ようと思ったが、とりあえずネットをチェックしてみる。量販店のサイトをみたら、今日中に届くとある。さっそく注文する。すでに1時近い。メールが届いて注文とクレジットカードの確認ができたと通知される。もう一度ネットを見たら、商品が確保され現在出荷準備中とある。その日の午後には商品は到着、その夜、いつもの通りに髭を剃る。便利な世の中になったものだとつくづく思う。

 だが、深夜1時過ぎに、私が注文した安物のシェーバーを梱包している人がいると思うと複雑な気持ちになる。注文価格に下限はなく、どんな安物でもすぐに届く。しかも送料はただか、有料でも数百円。梱包をしている人の賃金が安いことは容易に想像が付く。そうでなければネットショップは遣っていけない。

 いつのまにか駅の近くに24時間営業の飲食店が並んでいる。終電で帰った夜、小腹がすいたので、深夜1時半ごろ店に入る。さすがに客は少ない。それでも店ではアルバイトの学生と思しき若い男女が注文を取り、料理を運ぶために忙しなく動き回っている。客数と客の平均回転数、それに一人あたりの平均飲食代とを掛け算して、1時間当たりの売上高を推定する。今更ながら自分が理系であることを痛感しながら、店員たちにどれくらいの賃金が払えるかを推理する。地代、店の建築費用、飲食の材料費、光熱費などを考え合わせると安い賃金しか払えない。1時間千数百円が関の山だろう。最低賃金がなかなか上がらないのも、ブラック企業がなくならないのも合点がいく。

 便利の裏側に貧困がある。消費者の視点で見れば、0時過ぎにネットで注文した品物が当日中に届くことはありがたい。終電で帰っても食事ができて一杯呑める店が近くにあることは嬉しい。だが、それを支えるのは低賃金労働だ。仕事がないよりはマシかもしれないが、それにしても条件が悪すぎる。経験があるから分かるが、深夜労働は身体のリズムを狂わせ体調不良を引き起こす。割増賃金を受け取れるとしても長く遣るものではない。

 消費者は同時に労働者でもある。消費者の利便性向上が労働環境の悪化に繋がるようでは人々の幸福度は増加しない。いや、幸福度の増加した者と減少した者の二極分化が進み、トータルの幸福度はプラスにもマイナスにもなっていないというのが現実だろう。利便性追求の結果が格差拡大なのだとも言える。

 いつの日か、人工知能やロボット技術が進化して、商品の梱包や搬送、飲食の注文や運搬が無人でできるようになるだろう。その日が来るまでは便利さの追及は止めた方がよい。シェーバーで髭が剃れなくても病気にはならない。終電で帰ったら寝床に直行して寝ればよい。労働時間を短縮し、従業員の数を増やし、深夜労働は24時間稼働が不可欠なインフラ事業(電気・ガス・水道・通信・運輸・病院・警察・消防など)だけに制限する。学費や生活費を稼ぐために夜間アルバイトしなくてはならない学生がいるのであれば、出世払いの奨学金を給付してアルバイトをしなくてもよいようにする。それが、結局のところ、人々の幸福に繋がる。


(H28/9/23記)


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