☆ 書店の未来は? ☆


 紀伊國屋書店新宿南店が8月7日を以て6階の洋書コーナーを除いて営業終了、売場を縮小する。紀伊國屋書店のような大手でも経営は苦しいようだ。

 会社の同僚で本が大好きな者が言っている。「最近はすっかりスマホで書籍を読む習慣がついた。全集がたった1台のスマホに入ってしまうのだから便利このうえない。どこでも読めるのもよい。」と。筆者も少し前までは電子書籍は読みにくい感じがして、かなり抵抗があったが、慣れてくると読むのに苦労することはなくなった。価格は紙の本よりも安く場所も取らないから買って後悔することは少ない。そのため筆者のように古い人間でも段々と電子書籍にシフトしているのが現実だ。若い人なら尚更そうだろう。三省堂書店神保町本店のように電子書籍を販売するコーナーがある書店もあるが、ネットで購入する方が便利で、そこでしか買えない本がない限りは書店まで足を運ばない。電子書籍の浸透が書店の経営を苦しくしていることは間違いない。

 神保町の古書店で、書店の現状について店長らしき人物と客が語りあっているのを耳にした。客が「書店も大変な時代になったね。」と語りかけると、店長はこう答えた。「一番ダメージを受けているのは洋書専門店と法律関係。経済や法律を専門とする古書店がなくなったでしょ。最新の法律がネットで簡単に手に入る時代、最新の法令が掲載されていない古書への需要がない。経済は理論がどんどん新しくなるので古い本に学生が興味を示さない。」

 なるほど電子書籍だけが影響与えているのではない。洋書は実店舗よりもアマゾンの方が安く手に入る。東京駅丸の内口近くの大型書店丸善、洋書売場が紀伊國屋書店新宿南口店と並び東京では一番充実しているこの書店にときどき足を運ぶが、洋書の値段が感覚的に言って2割から5割程度、アマゾンより高い。おそらく図書館、大学などが主な顧客なのだろう。一般読者としては、3千円程度までの価格の本ならばその場で買って帰るが、それを超えたらアマゾンで購入する。周りを見ても、スマホでアマゾンか何かを検索し値段を比較しているように見受けられる者が目に付く。大抵そういう者は買わずにその場を去る。法律関係の書籍はネットであらゆる法令が検索できる現在、法哲学のような一般理論を語るもの以外は需要が減少するのは止むを得ない。経済関係の書籍も、刻一刻と世界の経済情勢が変化する現代、古い本が生き延びることは難しい。筆者の世代では、大学に入って経済学を勉強するとなると、まず教科書として挙げられたのがサミュエルソンの「経済学」だった。しかし今の学生はサミュエルソンなど読まない。だから同書は久しく絶版状態になっている。古書店でたまに目にしても二束三文だ。経済学は物理学や数学のように基礎が確立されていないから、本が長く読み継がれることが余りない。スミスの「国富論」やマルクスの「資本論」、ケインズの「一般理論」のような古典はいざ知らず、教科書などは長持ちしない。基礎がしっかり確立された物理学ならばファインマンとかランダウ・リフシッツ、国内でも朝永の量子力学などが半世紀以上、優れた教科書として読み継がれているが経済学にはそのような本はない。しかも経済情勢を反映して経済学への関心はかつてないほど高まっているから新しい教科書が次々と出る。それらを差し置いて古い教科書を読もうとする学生はいない。だから新刊本書店では経済は売れ筋商品だろうが古書にはニーズがない。だから経済専門の古書店が消えた。

 電子書籍、モバイル、インターネットが普及し、経済が目まぐるしく変化する現代、書店経営を巡る環境は厳しくなる一方と言わざるを得ない。果たして書店は生き残っていけるだろうか。残念ながら生き残っていけるのはごく一部だろう。紀伊國屋、丸善ジュンク堂、三省堂などが経営統合され店舗が整理されるという事態も想定される。電子化されない書籍や古典籍がある限り古書店は生き残っていけると思われる。しかし、それでも神保町の古書店街に並ぶ特色ある古書店などを除き、点在した特色のない古書店は経営が苦しくなっていくと予想される。

 筆者のように、本が好きというよりも、棚にたくさんの本が並ぶ本屋さんが好きだったという者にとって、この状況は嬉しいものではない。時代に抗うことは困難だが、何とか工夫して書店には生き残ってほしい。図書館やコンサートホールと合体した書店など文化の中心地として再生することも可能ではないだろうか。書店関係者の新機軸に期待したい。


(H28/7/31記)


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