日本のGDPの伸びは鈍い。だから景気対策をしてGDPを拡大する必要があると政府は説く。しかし、GDPを大きくする(=経済成長する)必要性が本当にあるのだろうか。近年、このような経済成長という神話に対する疑念の声が拡がっている。 物価が日本と同等で、人口1万100人の国があるとしよう。このうち1万人は年収100万円で、100人は年収10億円だとする。税金はこの国にはない。この国のGDPは千百億円になる。さて、年収100万円では生活は苦しく、1万人は現在の社会に大きな不満を抱いている。そこで、政府は高額所得者100人に50%の所得税を課すことにする。そしてその税収を低所得者1万人に生活補助費として平等に分配する。高額所得者の可処分所得は5億円に減る。だが低所得者の(実質的な)年収は600万円に増える。GDPは税金導入前後で変わらない。つまり経済規模に変化はない。 税金導入前と後でどちらが良い社会だろう。どのような仕事をして収入を得ているかに拠ると主張する者もいるかもしれないが、多くの者が所得税導入後の方がよいと答えるに違いない。さて、ここで、所得税導入により高額所得者の勤労意欲が減退し所得が8億円に減少したとしたらどうだろう。税金は一人当たり4億円、可処分所得も4億円に減る。生活補助費も一人当たり400万円に減る。だが、それでも低所得者の年収は税金導入前の100万円から500万円に上がっている。但しGDPは900億円に減少する。こうなっても所得税導入は正しい政策だったと言えるだろうか。この例では、前よりも意見は分かれるかもしれない。だがそれでも低所得者の生活改善に着目して、税金導入は正しい政策だったと支持する者が多いだろう。 これが経済成長懐疑論に繋がっている。経済規模よりも社会的公平、低所得者の生活改善の方がより大切だと考えられる。たとえGDPが伸びても、格差が拡大したら社会は良くなったとは言えない。金融緩和や財政出動、さらには減税で景気を拡大しGDPが成長しても、それだけでは社会が良くなることは保証されない。逆に経済規模が縮小しても社会的公平が実現すれば社会は良くなる可能性がある(注)。さらにノーベル経済学賞受賞者スティグリッツのような経済学者であれば、所得税増税による富の再分配=低所得者の収入増で消費は活性化されGDPは寧ろ増大すると指摘するだろう。スティグリッツが言うことが正しいのであれば、GDP減少の危険を冒してでも社会的公平を優先することで、却ってGDPが増大するということになる。上の事例は極端な状況を想定したもので、現実にはこれほどまでに格差が大きい社会は少ない。だが現実に即してモデルを修正しても結論は変わらない。経済成長は不可欠ではない。寧ろ経済成長は不可欠ではないと信じることで経済成長が促される。真に有効な景気対策は、金融緩和や財政出動ではなく、所得税増税を介した富の再分配だと言ってもよい。と断言したいところだが、本当にそうだろうか。 (注)経済規模の縮小は生産量の減少を意味し国は貧しくなると指摘する者がいるかもしれない。しかし現代社会においては、GDPに寄与するが社会的に有意義とは言い難い、寧ろ時として有害な物やサービスがたくさん存在している。これらの物やサービスが一掃されGDPが減少しても社会的に有意義な財は少しも減少せず寧ろ増大していることもありえる。実際、貧しい者の方が人間らしい生活をするために不可欠な物を購入し消費するから、格差の縮小で、GDPが減少し、かつ有益な社会的財の生産は増大しているということは十分にありえる。 現実はそう簡単ではない。人と資本が自由に移動するグローバル経済が巨大な壁として立ちはだかる。大規模な所得税増税をすれば、他の条件が変わらない限り、金持ちや企業は税金の安い海外に移住したり、資本を移動したりする。そうなると、税収の伸びは実現できず、景気も後退して低所得者の生活が悪化する危険性がある。金持ちや利益が上がっている企業を誘致すれば税率が低くても税収が増大するから、税率が低い国や地域は税率を上げない。そして、事実、金持ちや利益を上げている企業はそこに行く。これこそがタックスヘブン問題の本質をなしている。グローバル経済でありながら、税率や税体系は国や地域で異なる。そのために所得税増税だけで問題解決とはいかない。 税の独自性は国家主権に欠かせない。税金を安くすることで海外からの投資を促し国内経済の発展を図ることは途上国にとって極めて有力な戦略だ。それゆえグローバルな税制の不均衡を解消することは容易にはできない。しかし、そうなると、経済成長は不可欠ではないとは言い切れなくなる。「金に囚われず、簡素で自由な生活をすればよいのだ」と言う者がいるが、それはお金に余裕がある者の発言で、低所得者にはそのような余裕はない。一定額のお金は必要不可欠で、それを安定的に確保するためには景気が上向いている必要がある。 結局のところ、観念的には「経済成長は不可欠ではなく社会的公平性と生活の質が大切だ」とは言えるが、現実的には経済成長は欠かせないということになりそうだ。だが、経済成長は容易ではなく、成長のためには社会的公平性を犠牲にせざるを得ないという現実が解決されない(注)。グローバル経済、国家主権、社会的公平性、この3つは同時には成り立たない。世界的な格差拡大の傾向は最初の2つを維持するために3番目を放棄している結果と言えるのかもしれない。だとすると、社会的公平を維持、増強するために、グローバル経済か国家主権のいずれかを放棄するという選択肢も視野に入ってくる。とは言え、国家主権は放棄できない。だとすると残るのはグローバル経済だと言うことになるのだが、果たして、そこに現実的な解が見い出せるだろうか。 (注)大規模な所得税増税が資本や人の流出を引き起こすことから、成長を目指すためには格差拡大に目を瞑るしかない(自由な市場は格差を拡大することはあっても、富の再分配はしない)。成長しても、富の増大率を上回る福祉と社会保障の拡充に必要となる増税が、逆累進性を有する消費税増税中心となるため、社会的公平を拡大することに繋がらない。 了
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