経済学部の大学院生の教科書を見ると驚く。高度な数学が多用されているからだ。純粋数学や理論物理学の学生からすれば大して難しいものではないだろう。しかし理系出身の筆者でも、そこで使われている数式をすぐに理解することはできない。高校時代、数学は苦手だと言って経済学部に進学した友人がいたが、今だったら大変な苦労をしているだろう。 経済学が有益であり、現代において大きな役割を果たしていることは間違いない。しかし信頼できるかというと怪しい。精緻な数学モデルを使っていても、モデルそのものが不適切であれば正しい結論は得られない。 アベノミクスの評価を巡って対立が起きている。失敗だったと主張する者、当初の計画は下回っているが外部要因に拠るものでアベノミクスそのものは成功していると言う者、その中間的な立場の者、意見が分かれている。こういうときこそ、マクロ経済学の出番ではないのか。その精緻な数値モデルに従い、アベノミクスの経済政策的有効性、計画を下回っている原因を明らかにすることができるはずだ。ところが、大学院生用教科書に綴られているような数学的モデルを使った評価を耳にしたことはない。そういう高度なことは素人に説明しても無駄なので、紙面に載ることはないが、ちゃんと結論は出ているとでも言うのだろうか。それはないだろう。そうならば意見の相違が起きるはずがない。 そもそも、マクロ経済学のモデルが有効ならば、日銀の金融政策決定会合で意見が分かれることはないと思われる。複数のモデルがあり、委員によって採用するモデルが違うとでも言うのか。いや、議事録を見る限り、会合で高度な数学を使った議論などなされてはいない。寧ろ素人でもできるような議論しかしていない。 理論としての経済学は抽象的な議論をするためのものであり、政府や日銀の具体的な政策を論じるものではないという意見があるかもしれない。物理学でも、摩擦のない真空という厳密には存在しない状況を想定して理論を構築する。それと同じなのだと。確かに真空中で成立する物理理論は、摩擦のある世界にはそのままでは適用できない。しかし、物理学ならば、真空中を想定して確立された基礎的な原理や方程式を使って、摩擦のある世界の物理現象を説明する現象論的なモデルを作り出すことができる。そしてそのモデルを現実と突き合わせて評価する。そして、多くの場合、そのモデルは現実を的確に再現する。それゆえ、そのモデルに従い旅客機や自動車を製造したり運転したりすることができる。しかし、経済学でそのような試みが成功しているとは言えないし、そもそもそういう試みがなされているのかも定かではない。しかし、それでは経済学はあまり信用できないと言うしかない。 経済学的思考が有効であることは疑えない。「需要と供給は価格と強い相関関係にある」、「技術進歩などで生産性が上がれば、競争がある場合、価格は安くなる」など経済学的思考が有効な場面はたくさんある。いや、経済学的思考なしには適切な行動がとれないことが多いと言ってよい。だが、経済学的なモデルの有効性には限界がある。多くの場合、将来は予測困難だ。だからアベノミクスがどのような帰結を生むか、誰も分からなかったし、これからどうなるかも正確にはわからない。だから経済学が無意味だと言うのではない。上で述べたとおり有益であることは認める。ただ、自分は正しい理論を知っており未来を予測できるのだと言わんばかりに断定的なものの言い方をする経済学者や経済評論家が多すぎる。経済学モデルは不完全で正確には将来は予測できないし、正しい政策が何かを決めることもできない(そもそも政策は倫理的な問題を含み、単純な数学的経済モデルで決める訳にはいかない)。これを認めたうえで、きちんとした議論をして欲しい。それが学者や評論家の良心というものではないのだろうか。 了
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