いま最も話題になっている技術と言えば、人工知能と遺伝子編集を挙げることができる。人工知能はディープラーニング、遺伝子編集はCRISPR/Cas9(「クリスパー、キャスナイン」と読む)という画期的な技術の登場で一挙に活気づいた。 ある技術が発展普及するとき、もちろん技術革新は大きな役割を果たす。だが技術革新だけが技術の発展普及を促す要因ではない。 日本を含め先進国の多くが景気不振とデフレに悩まされている。日本では大規模な金融緩和を行っているが、思うように景気は上向いていない。金融緩和と財政出動という経済学的な政策だけでは不十分で、成長戦略つまり人々の消費を活性化し企業の設備投資を促すようなサービス、技術の登場が切望されている。このまま景気が低迷したままだと、増大する社会保障費を捻出することが困難となり増税が避けられない。増税すれば景気は益々低迷して悪循環になる。だから何としても成長戦略が欲しい。さらに世界各国で高齢化が急速に進んでいる。特に日本はその最先端にある。高齢者の増加で認知症や高齢者の交通事故が増加し大きな社会的な問題となっている。そこに登場したのが、人工知能であり、遺伝子編集だった。これらは成長戦略の核となり、認知症や事故対策(人工知能による自動運転車や運転支援など)にも大きく貢献すると期待されている。期待通りになるかどうかは分からない。しかし、期待は大きく、この期待が技術進化を促す。 ソ連崩壊で東西対立が終焉し、その影響もあって日本がバブル崩壊後の景気後退期に突入した90年代半ば、インターネットと携帯電話が急速に普及した。このことも、政治、経済、文化が如何に技術の発展、普及に大きな影響を与えるかを示している。 技術の発展普及は、後から見ると、あたかも技術革新の歴史であるかのように見える。しかし、実際は、その初期段階を調査すれば分かるとおり政治、経済、文化など社会環境や自然環境の賜物であることが分かる。優れた技術でも普及しないことがある。たとえば超音速旅客機や第5世代コンピュータは普及しなかった。ビデオテープで、β方式はVHS方式より優れていたと言われていた。しかし市場を制覇したのはVHSだった。技術の優劣だけでは、技術の歴史は決まらない。寧ろ経済や文化の状況、政治的な力学で技術史は決まる。 インターネットも同じだった。政府のインターネットへの関心は90年代半ばまで薄く、コンピュータ接続の技術としては国際標準機関(ISOやITU)で検討されていたOSI(開放型システム相互接続)という技術が推奨されていた。だが政府の関心が薄かったことで、インターネットは電話やISDNのような規制を受けることなく発展することができた。さらに90年代後半に入るとその勢いに気が付いた政府が一転してインターネット普及を後押しするようになり、各種ブロードバンドサービスが登場することになった。その結果、21世紀に入ると、一挙にモバイル・ブロードバンドインターネットが花開くことになる。また、85年の通信自由化で急速に広がったパソコン通信が、人々をインターネットへと誘うために大きな役割を果たしたことも忘れてはならない。それまでは一般市民にとって、通信サービスとは電電公社やKDDから一方的に提供されるものだった。しかし、パソコン通信を通じて、通信サービスとは一般市民が様々なコンテンツを提供することで発達するものであることを人々は経験した。それが中心なきインターネットを抵抗なく受け容れる素地を生み出した。確かに、GUIやWEB、検索エンジンなどが果たした役割は大きい。だが、いかに優れた技術と言えど、それらが根付く土壌がなければ仇花に終わる。そして、それらの技術が登場したこと自体が時代の要請によるものなのだ。 時代がどのような技術を待っているか、どのような技術が発展普及しうるかは、技術の中身を見ていただけでは分からない。ある技術を社会に普及させようとしたとき、多額の研究開発費を使い宣伝するだけでは不十分で、政治、経済、文化の状況をよく理解しないとならない。幾ら開発に費用と時間を費やしても普及しないものは普及しない。ただ、多くの技術の歴史が物語っているように、ある技術が普及するかどうかはそのときには分からないことが多い。技術の発展普及には(その技術からすれば)多くの偶然的要因が作用するからだ。もしソ連が今でも健在で東西対立が継続していたら、おそらく、本質的にボーダーレスなインターネットが普及することはなかった。それゆえ、どんなに政治、経済、文化を調査しても未来は予測しがたい。だが、技術を取り巻く環境こそが決定的な要因であることを覚えておくことは意義深い。 了
|