☆ 安倍政権の経済政策 ☆


 安倍政権の経済政策、通称アベノミクスの成否が議論されている。3本の矢という言葉があるが、3本の矢のうち財政出動と成長戦略は過去の全ての内閣が試みたことで新味はない。アベノミクスの特徴はその金融政策にある。日銀の統計をみると、マネタリーベース(現金通貨と日銀当座預金の合算額)は、12年12月の安倍政権発足時に131兆円、13年3月の黒田日銀総裁就任時に138兆円となっている。それが16年2月には366兆円に跳ね上がっている。つまり3年足らずでマネタリーベースは約2.7倍に膨れ上がったことになる。正に「異次元の金融緩和」という標語に相応しい金融政策だった。

 異次元の緩和で利率を下げ、併せて年率2%というインフレターゲットを定めることで消費者の購買意欲を刺激し企業の投資を促進する。それに財政出動と成長戦略を組み合わせることで景気が回復する。その後も2%前後のインフレを持続させることで日本経済は安定成長の軌道に乗る。これがアベノミクスのシナリオだった。

 しかし、円安で企業の業績が回復したことを除くと、アベノミクスは上手くいっていない。消費税増税や中国の景気後退などマイナス要因があったのは事実だが、それを差し引いても当初のもくろみは外れたと言うしかない。おそらく、それは日銀の金融政策の限界を意味する。そもそも、もし世界中の中央銀行が黒田日銀と同じことを遣ったらどうなるだろう。過剰になった貨幣が世界経済を混乱に陥れる危険性が高い。アベノミクスはその意味で、消費マインドが冷え込んだ日本で、それも短期的に通用する政策でしかない。

 だが、安倍・黒田の実験は日本経済に多くの教訓を残した。「大規模な金融緩和をしてもハイパーインフレは起きない。それどころか目標のインフレ率を達成することすら難しい」、「インフレターゲットを定めただけでは消費は活性化しない」、「消費税増税は、長期間、経済に悪影響を及ぼす」、「海外の動向で経済は大きく左右される」。

 私たちは長くハイパーインフレの悪夢に悩まされ続けてきた。政府と地方公共団体の負債は合算すると約1千2百兆円、GDPの倍を超える。これが大問題だと騒がれ消費税増税の正当性の根拠とされた。しかし企業と異なり国は倒産しない。ギリシャのようなユーロ加盟国を除くと、国は貨幣の発行権を有するからお金がなくなることはない。しかし、金が足りなくなったら紙幣を刷る、あるいは口座に数字を書き込むという操作を繰り返していけば、通貨の価値は暴落しハイパーインフレになり経済は崩壊する。第1次世界大戦後のドイツで起きた事態がそれだった。そして当時のドイツではナチスが台頭し、史上最悪の世界大戦が起きた。それゆえハイパーインフレが最大の敵であることは間違いない。しかしハイパーインフレは簡単には起きない。少子高齢化が急速に進む日本では特にそうで、これだけマネタリーベースを引き上げてもインフレにならない。閾値を超えると急激にハイパーインフレになるという理論的可能性は否定できないが、物理学研究の主要テーマである相転移や臨界現象のような事象が日本のように安定した国の経済で起きるとは考えられない。それゆえ、当面は、財政健全化よりも経済の活性化が重要であることをアベノミクスの実験は示している。

 少子高齢化が急速に進み、それにも拘わらず必要な社会保障や福祉の整備が遅れている日本では、どのような政策をとっても短期間での消費の活性化は難しい。話題になっている保育所不足の問題もその現れの一つと言える。インフレターゲットを取り下げる必要はないが、その目標の実現は当面難しいという前提で経済政策を立案・実行した方がよい。この課題に関しては長期的な視野で社会保障と福祉の充実を図ることが重要となる。

 消費増税の凍結または延期には、日本の財政への信頼の低下など幾つかの問題があるとは言え、最低でも延期するべきだ。アベノミクスの経験からも、消費税増税の経済へのマイナス効果は短期間では終息しない。諸外国の動向は日本では制御不可能だが、それでも国際協調を進めることで緩和は可能となる。但しそのためには自国の経済政策を時には修正することが必要となる。

 アベノミクスは失敗だったと論じる者は多いが、失敗というのは公平な評価ではない。ハイパーインフレ、そこまで行かずともスタグフレーション(インフレと不況が並存する状態)や景気後退が起きていれば失敗だったと判断されるが、そうはなっていない。また、この先もそうなることは想定し難い。それゆえ効果が薄かったというのが公平な評価だろう。つまり「異次元の・・」という謳い文句ほどの威力はなかったということになる。

 そもそもデフレから脱却する必要があるのかという異論がある。拝金主義と大国主義に囚われ、経済的にも軍事的にも強大な国にならなくてはならないという幻想が日本に拡がっていると見る者は少なくない。哲学者の内田樹などはその代表と言えるだろう。日本は人口の多い国の部類に入る。しかし中国やインドには遠く及ばない。インドネシアやパキスタン、バングラディシュよりも人口は少ない。それゆえ、いずれ日本の経済規模はアジアでも5位以下に落ちる。そのような国が経済大国、軍事大国を目指すのは愚かしいことだと言わなくてはならない。世界を見渡せば、国民が幸福だと評されるのは、北欧4か国やスイスなどの小国だ。戦争さえなければ、小国の方が大国よりも、民主的で、きめ細やかな福祉政策が実行でき、人々の連帯は強く不和や諍いは少ない。ルソーも、小国には民主制が、大国には君主制が相応しいと述べている。中国で民主制を機能させることは容易ではない。インドは議会制民主主義の国だが、地方ではカースト制が残存するなど人権状況はよいとは言えない。だがインドほどの大国になると改善には時間が掛かる。そのことを考えると、小国とは言い難いが、日本は大国への幻想を捨て、デフレを容認することで、平和で幸福な国を目指すことができるかもしれない。とは言え、それはすぐには実現できない。デフレが恒常化すれば若年層の失業や劣悪な環境で就労する労働者や非正規雇用が増加する。デフレは高齢の年金生活者には好ましいと言われるが、福祉が後退し子どもや孫たちの生活を圧迫するからデフレは高齢者にとっても決して望ましいことではない。それゆえ当面はデフレを克服し好景気を持続させることが重要な課題となる。ただ今の日本ではそれは容易ではない。


(H28/3/20記)


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