☆ なぜ長い時間働くのか? ☆


 「なぜ働くのか」と尋ねれば「当たり前だ」という答えが返ってくる。働かないで暮らせるのは多額の財産を持っている者だけで、他の者は働ないと暮らしていけない。当然の回答だが、私が尋ねたいことは「なぜ一日8時間も働くのか」ということだ。会社の決まりでそうなっている?ならば、なぜそうなっているのか。

 江戸時代中期、18世紀の日本の人口は大よそ2千5百万人程度だったと推測されている。今の5分の1。それから300年、生産力は飛躍的に増大した。少なく見積もっても、人口増の5倍よりは確実に高い。おそらく50倍くらいと見積もってよいだろう。江戸時代の勤労者の労働時間はよく分からない。現代人よりも短かったと言う者もいれば、長かったと言う者もいる。だが8時間労働の倍以上などということはない。

 だとすると、私たちは毎日精々数時間、あるいは週に2、3日働けば十分に暮らしていけるはずではないか。なぜ週5日、毎日8時間も働いているのか。

 「生産力の増大と共に、財の種類と量が飛躍的に増え、人々の欲望もまた飛躍的に増大したからだ。」多くの者がこう答えるだろう。だが、本当にそうだろうか。怠け者の筆者などは「欲望が増大すると、欲するものを手に入れるために忙しくて、とても働いている暇などない」ということになりそうな気がする。少なくとも欲望と働くことは等しくない。

 マックス・ウェーバーは、プロテスタントにとって勤労と節約は美徳で、それがプロテスタントの多い地域での資本主義の発展に繋がったと言う。プロテスタントは神の救済の徴を求めて懸命に働いた。プロテスタントにとって欲望は問題ではなく、神による救済が問題だった。

 尤も、資本主義の発展と共に信仰心は薄れ、神の救済ではなく、富の追及が目的となったとウェーバーも認めている。しかし、それでもバタイユによると、富の追及そのものが浪費を敵とするストイックなものだった。やはり欲望は問題ではなかった。

 だとすると、生産力の向上にも拘わらず労働時間が減らないのは、労働を尊ぶという倫理が原因なのだろうか。マックス・ウェーバーの学説は魅力的ではある。古代ギリシャでは、労働は奴隷の役目であり高貴な自由人のすることではないとされていた。それがプロテスタンティズムの倫理で反転され、資本主義が誕生した。確かに筋は通っている。だが日本などプロテスタンティズムとはほとんど縁がないアジア諸国で19世紀後半以降、資本主義が急速に発展した理由は説明が付かない。プロテスタントではないが日本人は元来勤勉なのだという説があるが、昔から勤勉だった訳ではないと主張する者もいる。いずれにしろ倫理だけでは説明できない。そもそも人間はそんなに倫理的ではない。だからこそ倫理が哲学の重要課題となる。

 マルクス主義者は、資本主義という体制が、人々に長時間労働を強いていると答えるだろう。だが、20世紀、マルクスの思想が広く世界に知れ渡り、その思想に基づく改革運動が世界中で展開されたにも拘わらず、依然として人々が当然のことのように長時間労働している姿を見ると、社会体制の問題だけでは片づけられないと言わなくてはならない。

 働くことが楽しいという者はいる。少なくはない。しかし全員がそうだという訳ではなく、働くことが楽しいと言っている者も職場が変わり楽しくなくなったということが多い。働くことが本質的に楽しいという訳ではない。

 結局なぜそんなに長く働くのかよく分からない。ただ自分ひとりだけ遊んで暮らす訳にはいかないという悲しい?現実がある。実際、こんな駄文を書いていると、「働け」という叱責が飛んでくる。


(H28/2/6記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.