☆ 憲法を守れるのか ☆


 「憲法を守る」これには二つの意味がある。現行憲法を改正させないという意味と、憲法の精神を蔑ろにさせないという意味、この二つだ。これまで護憲派は前者にばかり拘り、後者への取り組みが十分ではなかった。そのため、いつの間にか自衛隊と日米安保は合憲となり、いままた集団的自衛権が合憲とされようとしている。

 憲法第9条は自衛権を否定していないから自衛隊は合憲だというのは論理の飛躍と言うしかない。自衛権を否定する憲法などありえない。それでは憲法そのものの維持が不可能となる。しかし自衛権の肯定は戦力保持を必然的に容認することではない。外国からの攻撃に対し、国民皆兵制のような制度で対抗することもできるし、一切の暴力を否定し非暴力不服従で対抗することもできる。外交だけで攻撃を防止することも決して不可能ではない。国連のような重要な国際組織を日本に招致し常に海外の要人が日本に滞在しているような状況を作り出すことができれば海外からの攻撃を事実上阻止することができる。実際、戦力を全面的に放棄し日米安保のような軍事同盟的条約を全て解消すれば、中立国としてこのような道も開けてくる。

 そうは言っても、これまでの経緯と現実を無視できないことは分かっている。当面は、専守防衛のための自衛隊と日米安保の存続を容認することが現実的であることは認める。最高裁は統治行為論で自衛隊と日米安保に関する憲法判断を回避した。国民の多数が自衛隊と日米安保の存続を支持している。理念に固執して世論を無視する訳にはいかない。それゆえ、自衛隊と日米安保は、いずれは解消すべきだが、憲法の精神に明確に反するものではないから当面はその存続を認めるということでよいだろう。

 だが、そこまでが限界だ。たとえ国民の過半数が支持したとしても集団的自衛権までは認められない。もし国民の多数がそれを認めるべきだと考えるのであれば、改憲するか、新しい憲法の制定をしなくてはならない。憲法第9条2項は戦力不保持と交戦権の否定を謳っている。それゆえ、自衛権があると言っても現行憲法の下では交戦権は存在しない。従って自衛隊は防衛しかできない。つまり外国のために戦うことは明確に否定されており、集団的自衛権の発動など認められるはずがない。

 確かに、外国の軍隊を支援しなかったことで、日本の防衛が著しく困難になるということは、理論上はありえる。しかし事前にそのような予測をすることは不可能であり、可能性があるというだけで自衛隊が動き戦闘に参加することは交戦権の発動に他ならない。それなのに、政府は砂川判決を都合よく解釈し合憲だと言い張る。衆参両院で与党が安定多数を有する現状では、一連の法案が可決成立することは確実だ。

 こうして、憲法がどんどん蔑ろにされていく。これは改憲よりもずっと性質が悪い。問題があるのは第9条だけだと安倍首相は言うかもしれない。しかし安倍首相がそのつもりでも、それが他の条項さらには憲法全体に及ばない保証はどこにもない。安部政権は歴史に残る悪しき前例を作ったことになる。だが安部政権だけを悪者にする訳にはいかない。リベラルや左翼など護憲派はこれまで余りにも能がなさ過ぎた。憲法を生活に活かすことを提唱し実践することに努めた(故)土井たか子元首相のような例外を除き、「第9条を守れ!」を連呼するだけのステレオタイプの運動が多く、市民に憲法の精神をひろめることができなかった。その結果、中国、韓国の台頭で、日本国内には反中国や反韓国、ヘイトスピーチなどが拡がることになる。

 国会で安保法制を違憲と意見陳述した憲法学者たちは、法案が成立した場合は司法に違憲審査を求めると宣言している。しかし、日本の違憲審査制は付随的審査制と言われ、具体的事件に付随して憲法判断が示されるだけで、抽象的存在である法律そのものを違憲で無効だと訴えることはできないとされる。事実、自衛隊の前身である警察予備隊に関する法律の違憲・無効確認を求めた訴訟は、訴訟そのものが棄却されている。自衛隊基地に無断で突入して集団的自衛権反対のビラを配り起訴され裁判に掛けられるのを待って、その裁判で違憲性を訴えることはできる。しかし統治行為論で憲法判断を避けてきた最高裁が違憲判決を下すかどうかは分からない。違憲の判決が下されないと政府の憲法解釈にお墨付きを与えることになる。要するに、衆参両院で与党が多数を握り、独善的な人物が首相になると、首相が自由に憲法解釈をし何でもできることになる。改憲は国民投票があり、また衆参での成立には3分の2の賛成が必要であり壁が高い。しかし憲法解釈の変更には衆参両院で2分の1の賛成があればよい。
(注)違憲審査制の在り方については様々な議論がある。ただ選挙で選ばれた訳でもない裁判官が、国民の生命財産の保護に不可欠な安全保障について、安易に違憲判決を下すことには問題がある。それゆえ、違憲審査が制約されていることが間違いだとは言えない。国民が直接選挙で選出した法律の専門家や実務家、一般市民の代表からなる憲法裁判所を設立することも考えられる。但し、そのためには憲法の改正が必要となる。また、憲法裁判所の裁判官が選挙を気にして国民に阿ることも危惧される。

 最後の鍵を握るのは国民だ。国民が違憲な法律や行為を許さない、許すことが必要であれば改憲するという信念を持ち行動する必要がある。護憲派は憲法の条文より憲法の精神を浸透させていく必要がある。護憲派が平和を確立するために憲法改正を提唱してもよい。

 憲法は曲がり角に差し掛かっている。護憲派、改憲派、一般市民が、これからどうすべきか真摯に討議することが欠かせない。


(H27/7/12記)


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