☆ 「21世紀の資本」 ☆


 フランスの経済学者トマ・ピケティの著作「21世紀の資本」(日本語翻訳版、みすず書房、2014年12月)がベストセラーになっている。12月に発売されすでに6刷、大型書店の売り上げでも一位にランキングされているところが少なくない。すでに解説や批評が何点か出版されそちらの売り上げも上々だ。

 数式が少なく筆者のような素人でも無理なく読み進めていけるとは言っても、19世紀以来の富と所得の歴史的変動を分析した本書は、本格的な経済学的歴史分析の著作であり、決して一般読者向けの啓蒙書や解説書ではない。しかも翻訳ではページ数が500ページを悠に超え、価格も税込で5940円と高い。このような本がここまで売れるとは予想もしてみなかった。

 最後まで読んでいないので、自信をもって語ることは出来ないが、本書は、資本主義の発展に伴い富の分配が均衡化していく必然性はなく、富の偏在が進む可能性が高いこと、それゆえ公平性を維持し経済を円滑に運営するためには資本への増税策(資本への累進課税など)が避けられないと主張する。特に、その徴候として、資本収益率が所得の成長率を上回るとき持続不可能な富の格差を生み出すとしている。

 ピケティの主張が正しいかどうかは筆者には判断できない。しかしこの本が日本で多くの読者の支持を得た理由は合点がいく。それは、現在の安倍政権の経済政策が適切なものかどうかを検討するための大きな手掛かりを与えているからだ。勿論、本書を引用するだけで安倍政権の経済政策を批判することは稚拙であり公平ではない。現時点では、ピケティの思想は様々な経済学思想の一つに過ぎず、それが正しいことが広く認められている訳ではない。

 しかし、私たちは、10年ほど前の小泉政権、そして小泉政権以来の長期政権となる安倍政権に共通した特徴があることに気付く。どちらも、企業が空前の高利益を得ているのに、一般市民の所得が思うように伸びていない。これを直ちに資本収益率が所得の成長率を上回っている証と考えるのは単純すぎる。しかし株主、企業経営者、大企業の幹部社員など限られた者とそれ以外の多数との間の格差が拡大していることは否定しがたい。安倍政権は、法人税減税を行い、規制緩和を進めることで経済の活性化を実現しようとする。そしてそれが回り道でも全市民の生活を改善する道だと主張している。だが、これは、いささか甘い考えと言わなくてはならない。しかも、それ以外に道が見出せないから、事は深刻だ。選挙では自民党は「大胆な金融緩和を土台とした安倍政権の経済政策以外に方法はない。この道を突き進むしかない。」と力説した。それは強ち我田引水とは言えない。野党の代替案は月並みで説得力がなく、安倍政権の経済政策を批判する者たちの議論も代替案となるとこれと言ったものがない。ピケティの提言する政策、資本への累進課税策も、果たして有効な手立てになるのか疑問がある。世界で同じ政策を取らない限り、資本の海外への逃避、それに伴う景気低迷などが脳裏を過ぎる。

 ピケティの分析にも拘らず、いや寧ろそれが示唆していると言ってもよいかもしれないが、代替案の不在が現代資本主義の病理の根の深さを物語っている。確かに、同じようなことを、19世紀にはマルクスが、20世紀にはシュムペーターが主張した。しかし資本主義は生き残った。ピケティの主張を援用して資本主義の終わりを予測する者たちの言説も、所詮、世迷言に終わると楽観している者もたくさんいるに違いない。そして、そのとおりになるかもしれない。だが、同じことがいつまでも繰り返すとは限らない。マルクス、シュムペーターの時代と異なり、生産規模が地球規模となり、もはや利益を追及しているだけでは成長が期待出来ない時代へと差し掛かっているからだ。果たして、私たちは道を見い出すことができるだろうか。


(H27/1/26記)


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