☆ 賃金、株、非正規雇用、未来 ☆


 1865年、マルクスは、国際労働者協会(第一インターナショナル)の中央評議会で行った講演で、「賃上げは物価上昇には繋がらず、資本家の取り分(利潤(注))が減るだけである」という類の議論を展開し、賃上げ闘争の重要性を主張した。この講演は「賃金、価格、利潤」という表題で出版され、短く分かり易いこともあり、左翼運動が盛んだった時代には多くの学生や労働者に愛読された。
(注)厳密に言うと、マルクス「資本論」によれば、資本の取り分(剰余価値)は、産業資本家の利潤、金融資本家の利子、大土地所有者の地代からなる。しかし、本稿では、便宜的に「利潤」と表現する。

 しかし、左翼運動が盛り上がっていた高度成長期の日本では、皮肉にも、賃上げと物価上昇(インフレ)が同時並行で進行し、マルクスの予言は外れていた。高度成長期には、消費が拡大し、企業は賃上げによる費用増加を価格に転嫁することが可能で、利潤を食い潰す必要はなかった。また、マルクスは無意識のうちに完全自由競争市場を想定しており、寡占状態の市場での価格の考察が出来ていない。独占又は寡占状態では、資本は利潤を食い潰すことなく賃上げ分を価格に転嫁することができる。マルクス主義的には、「その分、他の市場で利潤が食い潰されているはずだ」ということになるかもしれないが、それはマルクスの労働価値説が正しいという前提にたった時だけに成り立つことで、労働価値説が間違っているとすれば成立しない。実際、理論的にも、経験的にも、マルクスの厳密な労働価値説が正しいとは言い難い。事実、高度成長期の日本では、第一次産業の衰退があったが、多くの産業分野で目覚ましい経済発展(利潤の増大)と労働者の生活改善が両立していた(注)。賃上げ分が価格に上乗せされインフレになっても、年功序列賃金だったことも手伝い、労働者の余裕は年々増大し、消費は活性化し、同時に預金も増えた。更に経済成長とともに商品の品質と機能は向上し、新商品が次々と登場し、労働者の生活を快適なものにした。労働者の家計の改善で大学進学者や高専進学者も急増し、それが科学技術の進歩と普及、さらには労働生産性の向上へと繋がった。こうして、公害問題や環境問題など深刻な問題も少なくなかったが、経済的には短期的な不況はあったものの概ね日本社会は好循環で動いていた。その過程で、労働者は半資本家化し、同時に「社長は社員のなれの果て」などという言葉が流行ったとおり、資本家は半労働者化した。10年ほど前までの韓国や、今の中国が当時の日本と同じことを経験している。
(注)但し、このこと自体は必ずしもマルクスの理論と両立しない訳ではない。景気が良いときには、資本家の利潤と労働者の賃金が同時に増加することをマルクスは認めている。但し、賃金と物価との関係に関してはマルクスの理論が不完全であったことを指摘しない訳にはいかない。また、利潤と賃金の両方が増加しても、利潤の増加が賃金の増加を遙かに上回るというのがマルクスの主張だったが、それも(高度成長期には)真実であるかどうか疑わしい。

 だが、80年代のバブル、90年代のバブル崩壊を経て、日本では低成長期に入り、様相は一変する。大企業の労働者や一部エリート層を除くと賃金は下がり、経済はインフレからデフレに移行する。そしてここでも皮肉なことに、労働者を守るはずの左翼運動が衰退する。左翼運動は資本主義を否定したが、資本主義体制下の高度成長の申し子でもあった。マルクスの予言では、この資本主義の発展に並行して拡大する(資本主義の墓堀人である)左翼運動と労働者組織が共産主義革命を遂行し、資本主義を葬ることになるはずなのだが、そうはならなかった。資本主義の低迷は資本主義ではなく労働者組織と左翼思想を壊滅させた。

 それにも拘わらず、近年は妙にマルクスの予言が現実化しているようにも思える。その典型が非正規雇用の増大だ。マルクスは資本主義の発展とともに、機械の進歩などにより労働は単純化し、熟練労働者が未熟練労働者に置き換えられ賃金は下がると予測した。しかしながら、その後の歴史は、機械の普及で技術者という熟練労働者の必要性が増し、マルクスの予想どおりには動かなかった。だが、20世紀の終わりから、ICTの発展と普及で労働の単純化が進み、熟練労働者の必要性は減少している。技術者の多くは出来合いのマニュアルやガイドラインに従い設計し、工事し、運用するだけのただのロボットになり、かつては高度な知識と経験を要した経理事務なども単純労働化している。これに伴い熟練労働者の需要が大幅に減少し、その結果、非正規雇用が増加したと考えることができる。勿論、非正規雇用増加の第一の理由は、グローバル競争の激化に伴う企業の人件費削減策にあることは間違いない。だが労働が単純労働化していなければ、経験豊富な正規雇用社員を非正規雇用で置き換えることはできない。

 さらに、経済成長が頭打ちになると、マルクスの「賃金上昇は資本家の取り分が減るだけ」は現実味を帯びてくる。その分かり易い例が株の配当だ。株の配当金は、税金控除後の純利益(単純化すると、売上−費用−税金)のうち、一定割合で株主に配当される。この割合は配当性向などと呼ばれ、トヨタは株主に3割の配当性向をコミットしている。配当性向は企業により差が大きく、たとえば通信業界では、ドコモが5割に近く、KDDIは3割、ソフトバンクは1割程度となっている。3社とも株式の時価総額は大きく(3社ともベストテンにランクイン)、ドコモは配当に期待する層が好み、ソフトバンクは譲渡益を狙う層が好む。KDDIはその中間に位置する。だから株式の売買代金の額は常にソフトバンク>KDDI>ドコモの順になる。いずれにしろ、賃金が上昇すれば費用増になり、賃金上昇が企業の収益(売上)増に繋がらない限り、配当は減る。アベノミクスにも拘わらず景気が思うように上向かない現在の日本では、賃上げは収益増に繋がらない。そうなるとマルクスの「賃上げは資本家の取り分を減らすだけ」という指摘が現実を射当てた正しい考えだということになる。

 配当が増えている企業でも株価が下がることがあり、赤字企業の株価が上がることもあるから、一概に配当が増えれば株価が上がるとは言えない。しかし、全体的には、配当が増えると株式市場の平均株価は上昇する。つまり株価を上げることと賃金を増やすことは今の日本では両立しない。だとすると、金融の大胆な緩和で、株価と賃金の両方を引き上げ消費の活性化を実現し持続的な力強い経済成長を目論むアベノミクスは成功しない。どちらかを犠牲にしないとならないからだ。だがどちらを犠牲にしても経済成長は覚束ない。公的年金の運用で株式の割合を増やしたから尚更だ。こうして、今の日本は八方塞がりになっている。アベノミクスを批判する声は至るところから聞こえてくるが、代替案がない。共産主義革命が実現するような気配は一向にないし、そもそも20世紀の経験は計画経済的な共産主義が成功しないことをはっきりと物語っているから、マルクス主義者も現実的な改革案は提示できない。

 マルクスは理論的には正しいとは言えない。だがそれでも、「資本主義は利潤率の長期低下でいずれ行き詰る」(「資本論第3部」)、「労働は単純化し賃金は下がる」(「資本論」、「賃金、価格、利潤」など多数)と予測したマルクスの考えは現実には概ね当たっているとみてよい。規模の大小はあれ、日本の現実が多くの先進国にも当て嵌まるから、これは特定地域的な現象ではなく世界的な現象だと言えるからだ。そして、急速な経済成長を遂げる中国などもいずれ同じ隘路に入り込む。

 「では、先はどうなるのか」と問われても答えられない。資本主義が解決策を見い出すのか、資本主義が崩壊するのか、分からない。いずれにしろ、現代という時代が、歴史の分水嶺を迎えようとしていることは間違いない。「ICT普及の意義は何か」と真顔で尋ねられると答えに窮する。だが100年後の者はこう答えるかもしれない。「資本主義崩壊の序曲を奏でたこと」と。事実、インターネットの普及に触発されたフリーソフトウェアやオープンソースの普及は、良し悪しは別として、新しい秩序の可能性を物語っているように思える。だが、その一方で、資本主義は崩壊せず、どこかに出口を見い出すか、又は出口がないままに袋小路で彷徨いながらも生き長らえるようにも感じる。ヘーゲルは「法の哲学」で、「ミネルヴァの梟は日が暮れてから飛び立つ」と述べているが、まだ梟が飛び立つ気配はない。


(H26/11/30記)


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