☆ ロボットを愛せるか ☆


 見た目は人間そのもの、振る舞いも、知能も人間と同じ。ロボットであることを指摘されなければ誰も気が付かない。当然、それを知らないで、恋に落ちる男女もいるだろう。

 さて、彼女(又は彼)がロボットだと分かったら、それでも男(又は女)は愛し続けることができるだろうか。

 もちろん今のところ、これは単なる空想に過ぎない。ロボットと人間では素材が違う。どんなに精巧なロボットでも傍によれば人間ではないことはすぐ分かる。そばに近寄っても分からないとしても、抱き合えば違いに気が付く。だから愛の対象にはならない。言うまでもなく、知能や感情面でも差は大きい。特に人間のような感情を持たせることは難しい。人間のような感情を持たせることができたとしても、果たして私たちはロボットに感情を持たせたいと思うだろうか。意地悪なロボット、すぐに怒り出すロボット、気に入った相手にしつこく付きまとうロボット、雰囲気を察せず一人で騒ぐロボット、そんなロボットは御免蒙ると誰もが思う。特にそのロボットが怪力の持ち主だったりしたら大変な騒ぎになる。

 それでも、人間は物好きだから、人間と寸分たがわぬロボットを作ることを夢見、研究開発を続けるだろう。原理的に不可能であることが明らかでない以上、いつの日か、それと知らず男女が恋に落ちるような人間型ロボット(アンドロイド)を作り出してしまう可能性がある。そのとき、ロボットであることを知ってなおかつ、ロボットを愛することができるだろうか。

 現代人のほとんどは「愛することはできない」と答えるに違いない。アニメやドラマでは、ロボットと知ってなお愛し続ける若い男、女が主人公の物語をしばしば見かける。しかし、現実には、愛情の対象は、あくまでも人から生まれた人であり、人工的に製造されたロボットではない。人を愛するとき、相手が人であることを一々意識することはないが、それは人以外でも愛せることを意味するのではなく、人以外は愛情の対象となりえないことを意味している。

 愛していた相手がロボットだと分かったら、最初のうちは、戸惑いながらも愛情が残るだろう。しかし、段々と気持ちは冷めてくる。そして目の前にいるのはロボットだという事実を冷静に受け止めることができるようになったとき、大切に思う気持ちは残っても、愛は消え失せる。それで問題はないし、寧ろそれが人間として健全な態度だと言える。

 しかし、将来は分からない。近代化とともに、人間は自律した個人として確立した。しかし個人であることは、必ずしも人間の本質ではない。洋の東西を問わず、前近代社会では、人間は個であるより集団の一部だった。そして、集団から個へと変容するとともに、愛情の在り方、表現方法、そして儀式が変化してきた。時代と共に、愛は変化しうる。

 だから、いつの日か、ごく一部の変わり者だけではなく、普通の人が、普通にロボットを愛せる日がくるかもしれない。人とロボットの婚姻や親子関係が認められ、婚姻や親子関係が認められたロボットには人間と同等の諸権利が付与される。こういうことはありえる。現代人の多くはこういう世界は異常な世界だと感じるだろう。筆者自身も同じように感じる。しかし、個人であることが行き過ぎ、無縁社会などと呼ばれるところまで辿りついた現代、少し空想を膨らませれば、そういう時代が来ることがありえると気が付く。それどころか、高齢化が急速に進み、孤独な老人が急増している現在、寧ろそういう世界を必要とする日が迫っているようにも思える。


(H26/10/26記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.