アルバイトの募集を見ていると、最低賃金と同程度の時給が多い。安倍政権の成長戦略もあり最低賃金が引き上げられることになったが、それでも最も高い東京都ですら9百円に満たない。週40時間、年間労働時間約2000時間として、時給9百円では年収180万円。憲法25条に謳われる最低限の生活は可能かもしれない。しかし、これでは余裕ある生活は送れない。家賃や電気、ガス、水道、通信、日々の食費、交通費などでほぼ全て費やされてしまう。聖人君子ならば、それでも思索と詩作、善行の日々で充実した人生を送ることができるだろう。だが大多数を占める煩悩具足の凡夫としては、やはりこれでは物足りない。無理して長時間勤務をして、年間3千時間働いたとしても270万円。少しは余裕ができるがそれでも十分とは言えないし、3千時間も働いたら、短期間ならばいざ知らず、いずれ身体を壊すか精神を病んでしまう。しかも、このような生活が若い頃から高齢に至るまで続いていたら、老後は病気がちになり、財政的にも苦しくなる。 最低でも時給1500円は必要だ。1500円ならば年間300万円、夫婦二人で働けば600万円、子ども二人を何とか養っていける。子どもがいなければそこそこ余裕がある生活ができるだろう。しかし、最低賃金を1500円に上げると言ったら、経済界は大反対する。中小企業は経営が成り立たなくなると言われるだろう。しかし、彼(女)らは近視眼的な物の見方に囚われている。時給千円未満の労働者が増えれば国内市場は縮小し、海外に活路を求めないと遣っていけなくなる。しかしたとえ今はグローバル市場で優位を占めている企業でも、発展途上国の躍進でやがてグローバル市場から退却を余儀なくされる。サムソンなどに市場を席巻された国内通信機器メーカーがその典型的な事例だ。通信の主役が固定電話とファクシミリだった時代は、日本の通信機器メーカーはわが世の春を謳歌していたが、今や見る影もない。グローバル市場で勝ち続けることはほとんど不可能だ。だから企業活動の安定的維持を実現するには、国内市場の安定が欠かせない。そしてそのためには、長時間労働せずとも最低で年収300万円程度の収入が確保できないとならない。そのためには最低賃金の大幅な増額が不可欠となる。 だが、それは可能だろうか。たとえ頭では理解できても現実には難しい。それは企業経営者が無慈悲だからではない(勿論無慈悲な経営者はいる)。労働者の生活が苦しいことに心を痛める経営者は少なくないし、労働者の生活が良くならないと景気が良くならないこと、グローバル市場で勝ち続けることは困難なことは多くの経営者が分かっている。ところがそれでも、最低賃金を上げることができない。経営が苦しくなるところが多数出てくるからだ。ブラック企業を退治すれば労働者の生活が良くなるわけではない。そもそもブラック企業で働かざるを得ない労働者が多数存在するという現実にそのことが如実に現れている。 しかし、そうなると、現在の経済体制には根本的な構造的欠陥があるということになる。資本家や企業経営者が善意の人たちでも、労働者の生活を改善できないとすれば、それは経済体制そのもの、つまり資本主義という体制に根本的な欠陥があることを暗示する。世界を見回せば、北欧4か国のように、経済は勿論のこと、民主、人権、教育、治安秩序などあらゆる面で労働者の生活環境が良好な国はある。しかし北欧4か国は人口が少なく(一番多いスウェーデンですら1千万人に届かない)、一方でノルウェーの北海油田のように豊富な資源がある。しかも経済体制は資本主義に属するとは言っても、政治的には社会民主主義で、政府の経済への介入・規制は強く、高額所得者への課税率も極めて高く、いわゆる米国的な資本主義とは大きく離れた体制をとっている。つまり米国を現代資本主義の典型とするならばそこからは大きく外れている。そしてそれが上手くいっているのは人口が少ないからだ。経済水準が高ければ、人口が少ないほど福祉政策は人々の生活実態に合った効率的かつ合理的なものとなり、また経済への政府の介入や規制も市場がほどよい大きさなので、合理的かつ広くコンセンサスを得られるものとなる。 だが、日本や韓国、EU内の大国、独、仏、英、伊のように人口規模が5千万を超えると、北欧4か国のようにはいかない。中国や米国などの人口規模になれば尚更そうだ。中国の強引な外交政策や海洋進出は日本を含む周辺国や米国の批判を浴びているが、13億もの人口を抱える国として止むを得ない行動という面もある(だからと言って、擁護できる訳ではない)。超大国は強いが、膨大な数の国民の生活を維持・改善しなくてはならないため、その内情は楽ではない。戦時は人口の大きさは武器になるが、平時には寧ろ重荷になる。 北欧諸国のような社会を作ることが他のほとんどの国で困難であることは、やはり資本主義には根源的な欠陥があると強く印象付ける。筆者はマルクスに共鳴しつつも、資本論の論理(特に労働価値説)は正しくなく、資本主義はマルクスが考えるほど抑圧的でも搾取的でもなく、資本主義の下でも労働者の生活は改善され格差を縮めることは可能であり、それゆえ資本主義は容易には崩壊しないと考えている。その一方で計画経済は抑圧的な政治体制を生みがちで、しかも個々の才覚を活かすことができず、大きな発展が望めない。それゆえ現代世界において資本主義の優位は否定できない。 だが、それでも日本の最低賃金の現実を考えるとき、資本主義の下での社会の改善には限界があると判断せざるを得ない。確かに現時点では資本主義にとって代わる体制は構想すらできていない。旧ソ連・東欧共産圏型の計画経済では、経済の安定的成長という面でも、人権、民主など政治面でも成果は期待できない。しかし、だからと言って、資本主義をこのまま継続し、「問題が生ずれば、都度、改善すれば良い」式の楽観論はもはや成り立たない。高度成長が終焉し、バブルが弾けた後の様々な経済改革の試みが、最低賃金で(あるいは実質その水準以下で)働く者を急増させ格差を拡大し、意図せずして、その現実が経済成長の足かせとなっている。資本主義という体制そのものに自動修正する力はない。 それにも拘わらず、代替手段がないということは深刻な事態だと言わなくてはならない。世界全体をみれば、総じて言えば(一時的には)格差が是正される方向にはある。だが、その一方で環境問題や資源問題は深刻さを増している。日本は少子化で人口減だが世界全体では人口は急増しており留まるところを知らない。そして日本が典型であるように先進国で再び貧困の問題がクローズアップされている。これらの問題の多くは、温暖化の問題がそうであるように、すぐに破滅をもたらすものではない。だが長期的に見れば、これらの問題は解決が極めて困難で、破滅的な作用を及ぼす危険性がある。貧困の拡大、資源枯渇、環境悪化、これが3重の苦しみとなって重く圧し掛かってくる日は決して遠い未来ではない。しかし、それを解決する手段がないとなれば、私たちはどうすればよいのだろう。破局が目の前に迫っている訳ではないからと言って呑気に構えている訳にはいかない。人類史上最も解決困難な状況にあること、もはや自然や歴史的必然とやらに任せておいては未来の展望が開けないことを肝に銘じておく必要がある。「資本主義を超える道」、何度も叫ばれたスローガンだが、いよいよ本気でそれを探さないといけない時代が到来しているように思われる。 了
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