ソフトバンクがロボット産業に参入する。同社の新しいロボットは人の感情を理解し、人と同じように振る舞う。それも、予め全ての情報がロボットに入力されている訳ではなく、得られた情報をサーバに送り、そこに蓄積されたデータと照合して適切な振る舞いを導き出す。そして、その振る舞いをロボットは記憶し、次からは迅速かつ適切に応答できるようになる。サーバ側も通信をする多数のロボットからの情報を精査し、ロボットたちの振る舞いがより洗練されたものとなるようにデータベースを改善していく。ネットワークを通じてロボットとロボットを制御するサーバが協同して学習し、進化していく。これは共同体の中で学習し成長する人間とほとんど変わらない。 自主的に学習し人間とコミュニケーションするロボットとその土台を形成するコンピュータネットワーク、これはやはり驚異的な存在と言わなくてはならない。それは新しい時代を予感させるとともに、人間存在を考え直す縁ともなる。 コンピュータが人間よりも計算が速いのは当たり前で驚くことでも何でもない。そのために人は計算機を考案し制作した。自転車やバイク、自動車が世界最速の男よりも速いのと変わらない。コンピュータがチェスで世界チャンピョンを破り、将棋でプロ棋士と同等の実力を示しても驚かない。いずれ羽生でも勝てない将棋ソフトが登場する。現時点ではアマチュアレベルでプロには遠く及ばない囲碁でも、コンピュータがプロを超える日がいずれはやってくる。明確なルールが存在する世界では、人間はコンピュータやロボットには勝てない。制作者が制作物よりも優れているとは限らない。だが、そのことは別に不思議なことでも、困ったことでもない。 しかし、ロボットが人間以上に人間の感情を理解し、より良く応対できる、こういう状況を想像すると微妙な気分になる。教師やカウンセラー、弁護士などがロボットだとしたら、そして人間よりも優秀だったとしたら、どうなるだろう。法廷でロボット弁護士が人間の検察官や相手側の弁護士を論破する。ロボットのカウンセラーの適切な指導で癒された患者がロボットに心からの感謝の言葉を捧げる。そんなことは一昔前までは、空想の世界の出来事に過ぎなかった。だが、今やそれが現実に迫っている。 もちろん、技術的にはまだまだ解決すべきことが多く、人間並み又は人間以上の応対ができるまでの道程は長い。しかし、実現不可能だという根拠はもはやないと言わなくてはならない。これまで多くの哲学者、思想家、そして科学者すらも、人間にはできるがロボットにはできないことがあると主張してきた。人間の振る舞いや思考や感情は、計算には還元できないものがあると言われた。だがその説得力ある根拠は(もともと)ない。寧ろ、最新技術の粋を結集したロボットの精巧な動きや丁寧で適切な応対を見るとき、人の振る舞い、思考、感情、その全てとは言わないまでも、そのほとんどはロボットでシミュレーションできると感じざるを得ない。 人間とロボットが共存する世界は実現するだろうか。不可能だ、あるいは、可能だとしても好ましいものではないという感想を持つ者は少なくない。しかし、少子高齢化が進み、孤独な高齢者が急増している日本では、寧ろ、それはパラダイスであるようにも思える。 了
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