日本の取引所が破綻して終焉に向うかと思われたビットコインだが、諸外国では依然として人気は高く、取り扱う店舗も拡大している。 もしハイエクが生きていたら、ビットコインを自生的秩序として大いに歓迎していただろう。リバタリアンなら、国家という人々の自由を奪い、戦争の原因となる厄介な存在を超える可能性を秘めたものとしてビットコインを評価するに違いない。 岩井克人は「貨幣とは貨幣であるから貨幣である」と語っている。岩井はマルクスを高く評価しながらも、労働価値説を人間中心主義として否定し、人々が「それは貨幣だ」と信じ、「他人もそれを貨幣だと信じている」と信じているから、貨幣は貨幣として流通する、貨幣そのものには何ら実体はないと指摘する。岩井の思想からすれば、ビットコインは十分に貨幣として通用する可能性を持つはずだが、意外?にも岩井はビットコインを評価せず消滅を予言する。貨幣の無根拠性(実体の欠如)から、国家による制度的保証がない限り、貨幣が通貨として広く流通することはないということなのかもしれない。 ビットコイン、あるいはそれに類する貨幣(もどき)が成功するかどうかは、いわゆるネットワークの外部性が機能するか否かによる。利用者が増えれば増えるほど、ビットコインの価値は増大する。おそらく閾値を超えた時、それは実質的に通貨として確立する。貨幣には実体がないがゆえに、アプリオリにビットコインが失敗に終わると断言することはできないし、国家あるいは世界銀行などという強力な制度的保証が不可欠だとも言えない。 一方、ビットコインが普及することの危険性も無視することができない。ビットコインは貨幣の無根拠性の究極的象徴であるから、常に崩壊のリスクを孕んでいる。マネーロンダリングなどに利用される危険性も高い。崩壊の危機に瀕した時、権力行使をして救済してくれる者は誰もいない。すべては基本的に自己責任で処理しなくてはならない。デリバティブにはリスクが常に付き纏う。しかし貨幣のリスクはその比ではない。貨幣の安定性という土台があるからこそデリバティブは存在しうる。だから貨幣が崩壊すればすべてが終わりになる。それゆえ制度的な裏付けを欠くビットコインが余りにも拡大すると世界の金融システムは根源的なリスクを抱え込むことになる。 ビットコインは成功したとしても、限定的なものに留まる。さもないと世界経済は極めて不安定になる。しかし一定規模以上にビットコインが拡大した時、果たして、それ以上の拡大を抑制することができるだろうか。手数料が安く、匿名性があり、国家の思惑に左右されず国境を超えて容易に使うことができる便利な貨幣、しかも価値が上がることが期待できるとなると、限度を超えて需要が拡大することが容易に想像される。そのとき、自由市場で効果ある規制を課すことは容易ではない。 貨幣の本質からビットコインの登場は必然と言ってよい。それは新しい時代の予告でもある。だがそれが混乱の始まりなのか、より良き世界への入り口なのかは分からない。 いや、それほど大袈裟に考える必要はない、ビットコインは暫くの間話題になり、そして慎ましやかに生き延び一定の経済的役割を果たすことになるかもしれない。しかし現存の貨幣(通貨)に取って代わる存在になることはない。こういう意見がある。なるほどそれが一番ありそうなシナリオだと思う。だが現存の貨幣制度はそれほど安定しているものだろうか。また一方、ビットコインに、金融革命を引き起こし既存の国家を解体する起爆剤となることを期待する者にはそれでは物足りないだろう。いずれにしろ、暫くビットコインからは目が離せない。さらに、ビットコインがたとえ失敗に終わったとしても、マルクスや岩井の研究成果にも拘わらず、「貨幣の謎」は依然として謎であることをビットコインは私たちに再認識させた。貨幣は実に単純な存在だが、単純であるがゆえに最も理解が困難なものとして残っている。私たちは、先人の功績を参照しながら、貨幣の謎の探究を継続しなくてはならない。 了
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