1月29日、小保方さんをリーダーとする理研の研究グループが、iPS細胞より簡単な方法で様々な細胞に分化できる万能細胞の作成に成功したと発表した。体細胞を酸性の溶液で刺激するだけで万能細胞が作成できるというのだから驚きだ。国内外の報道でも大きく取り上げられ、早くも医療などへの応用が期待されている。 実験はマウスで成功しただけで人間に応用できるか否かは未知数だ。しかし細胞レベルでみればマウスと人間で大差はなく、人間にも応用できる可能性は高い。あとは安全性などを確認して実用化を目指すことになる。 研究グループのリーダー、小保方さんがまだ30歳という若い女性であることも大いに喜ばしい。諸外国から男女差別が激しいと批判されることが多い日本だが、こういう国内外から注目される研究成果をあげる女性が登場するということは、改善が進んできた証かもしれない。 という訳で、手放しで喜びたいところだが、一方で、一抹の不安を感じないわけにはいかない。高等生物が生きていられるのは、幹細胞(体表と体内の様々な器官や体液に分化できる万能細胞)が個体の成長過程で一度分化したら元の幹細胞に戻らないからだ。そのことは容易に理解できよう。脳細胞や心筋細胞が幹細胞に戻ったら、生命は維持できない。分化した細胞が分化したままで生命を維持しているのが成体の特徴だ。高等生物の成長と生命は細胞分化が本質的に非可逆過程であることによって維持されている。逆に言えば分化した細胞が容易く幹細胞に戻るようでは生命の維持は困難になる。 ところが酸性液で刺激するだけで肝細胞に戻るということは、この非可逆過程が必ずしも安定したものではないことを意味する。だとすると生命は案外脆い存在だということにならないだろうか。万能細胞は医療への応用、特に夢の再生医療への応用が期待されている。だが下手な使い方をすると、人間を始めとして生命を衰弱又は死滅させることに繋がる危険がある。髪の上に酸性液をたらしただけで、どんどんその細胞が幹細胞に戻り、身体は破壊されていく。こんな恐ろしい空想の世界が広がる。いや、空想で済めばよいが現実になるかもしれない。そうなると犯罪や戦争に使われる恐れも出てくる。 もちろん、このような事態が簡単に起きるはずがない。酸性液で刺激すればどんな細胞でも万能細胞になる訳ではない。どんな酸性液でも良い訳ではない。作成された万能細胞を、いつでも、どこでも、自由に好きな細胞に分化させることができる訳でもない。また、たとえ技術的にそのようなことが可能となったとしても、理性と他者への眼差しが狂気から人を守ってくれるに違いない。 そうは言っても、やはりちょっと心配だ。本当に人はそれほど賢いのだろうか。さらに故意にそれを悪用することはなくとも、想定外の出来事が起き、災厄を撒き散らすことはありえる。 いずれにしろ、生命を操作するということには何か不気味さと怖さが付き纏う。宇宙や地底や深海は純粋なロマンの世界だが、生命は遥かに身近で自分という存在そのものと関わっている。生命を神秘の世界に閉じ込めておくことはもはやできない。パンドラの箱は元には戻らない。私たちはこの新しい科学技術と折り合っていかなければならない。しかし、それが可能なのか聊か怪しい。「老子」には、文明の利器があっても使わない方がよいという警告がある。老子の思想が現代人の行動指針になるとは思えないし、それが良いことだとも思えない。しかし、ただ科学技術が進歩すれば良いという訳ではないことも忘れてはならない。 尤も、そうは言っても、やはり、この研究成果は凄い。たとえ医療への応用が思うようにはできなかったとしても、「単一細胞である受精卵がどうやって膨大な数の分化した特殊細胞の集合体である成体にまで成長するのか」この科学最大の謎を解く重要な手がかりを与えているからだ。危険性に十分注意しながら、研究が進展することを望みたい。 了
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