☆ ノーベル賞 ☆


 今年もノーベル賞のシーズンが近づいてきた。候補者と目されている者の中には、心穏やかではない者もいるだろう。

 ノーベル賞には多くの批判がある。事実、選考過程の不透明性、人種的な偏り、政治的思惑が絡んでいるとしか思えない受賞者、など多くの問題がある。たかが一つの賞に過ぎないと割り切ってしまえればよいのだが、すでに賞の権威は余りにも巨大化し無視できない。日本人は特にノーベル賞好きと言われ、他国ではそれほどでもないと言われることがあるが、そんなことはない。中国の人権運動家の受賞に対する中国政府の言動、地球温暖化問題におけるIPCCとゴアの受賞の世界的影響、毎年受賞者が決まるたびに巻き起こる批判や疑念の声。これらはノーベル賞が如何に大きな力を持つかを示すもので、賞は日本の首相の発言などより遥かに大きな国際的な影響力がある。

 物理学賞、化学賞、医学生理学賞の科学に関する3賞は比較的公平な人選が行われていると言われているが、なぜ、この年、この人なのかは全く分からない。また、各分野で1年に3人が上限のため、他の3人と比較して決して見劣りしない業績を上げていながら賞を逃す者がいる。朝永振一郎がファインマン、シュウィンガーと共同受賞した65年の物理学賞では、3人に優るとも劣らぬ業績を上げているダイソンが落選している。08年の南部、小林、益川3名が受賞した物理学賞では、小林・益川理論の先駆者であるカビボが落選しイタリアの科学者たちから批判の声が湧きあがった。また日本人でも、古くは世界で初めて人工的に癌を作り出した山際、フラーレンの基礎理論を築いた大沢などなぜ授与されなかったのか国外でも疑問に思われている者が少なくない。

 理論家が実験・観測家よりも不利であることも大きな問題とされる。科学における今年最大の出来事はヒッグス粒子(正確には「粒子」ではなく「場」と呼ぶべきだが)の発見で間違いはない。しかしヒッグス粒子の存在はすでに数十年前から理論家の間では常識とされてきた。ところが、ヒッグスはまだノーベル物理学賞を受賞していない。現代の素粒子標準理論は弱電磁相互作用の理論と量子色力学からなるが、この標準理論成立の立役者であるワインバーグ、サラム、グラショー、ゲルマンなどがすでに遥か以前にノーベル賞を受賞しているのに、彼らに劣らぬ業績を上げているヒッグスには賞が与えられていない。なぜかと言うと、実験や観測でヒッグス粒子の存在が確認できていなかったからだ。今年の物理学賞はヒッグスで決まりという声もあるが、如何せん選考過程が公開されておらず予断は許さない。ただヒッグスは高齢で、このまま受賞を逃せば受賞者選考の妥当性に著しい疑念を残すことになる。また、車椅子の天才ホーキングのブラックホールからのエネルギー放射(ホーキング放射)の理論はほとんどの物理学者がその正しさを確信している。しかし実際にブラックホールからのエネルギー放出を実験や観測で確認することは技術的に不可能であり、ホーキング放射以外にも一般相対論やブラックホールの熱力学などの分野で画期的な業績を残し現代を代表すると言っても過言ではないこの天才物理学者がノーベル物理学賞を受賞する可能性は低い。またホーキングの共同研究者でもあり、ホーキングを凌ぐ業績を上げている天才ペンローズも、そのあまりにも時代の先を行く研究のためにノーベル賞受賞の可能性はまずない。ノーベル賞は極めて保守的な賞であり、時代の先を行く理論的研究に授与されることはない。それゆえノーベル賞受賞者が必ずしも他の者より優秀な科学者とは言えないという現実がある。これも、ノーベル賞が「たかが一つの賞」というレベルのものであれば問題とはならないが、如何せん世界的な権威があるために大きな問題となる。日本でもノーベル賞受賞者(又は受賞の有力候補者)ばかりが脚光を浴び、政治や教育への影響力を発揮していることは決して小さな問題ではない。

 数学、地質学、気象学、生態学などの分野の専門家が受賞する賞がなく、ノーベル賞受賞者よりも遥かに重要な業績を上げている者が正当に評価されないということも問題となる。これもノーベル賞の権威が大きすぎることの弊害だ。芸術分野も文学だけであることに問題がある。社会科学の分野で経済学賞だけというのも同様だ。そもそも平和賞を含めて文学賞や経済学賞では人選が極めて不透明で、なぜ佐藤が平和賞なのか、川端と大江が日本文学の代表とは言えない、など多くの疑念と批判が付き纏う。

 オリンピックの商業化と規模の巨大化には多くの批判がある。それを意識してかロンドン五輪は比較的質素だったと言われるが、開会・閉会式の巨大イベントを見ると疑わしい。スポーツを通じた世界の人々の交流と平和促進という本来の目標から大きく逸脱した現代のオリンピックの在り方はこれから大きな課題となる。同じようにノーベル賞も見直しの時が来ている。科学技術の進歩で、天才の時代は過ぎた。やり手のネゴシエーターが予算を獲得し、様々な分野の秀才と機材を結集して共同研究することで大きな業績が生まれる時代に変わっている。個人を対象とし、しかも年に3人という枠がある現在のノーベル賞は時代に相応しいものではない。繰り返しになるが、それもこれも、そもそも賞の権威が大きくなり過ぎたことに起因する。ノーベル賞が普通の賞、専門分野外の者には大した話題にならないような普通の賞に戻ることが一番良いことなのかもしれない。


(H24/9/8記)


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