また今年も健康診断の日が遣ってくる。気が重い。検査で悪いところが発見されるのが不安なのだ。 そういうことを言うと、悪いところがあれば早めに発見した方が良いではないか、会社のお金で健診ができるのだから幸せだと言う者がいる。出向していた頃、出向先の部長が健診大好きで年がら年中検査を受けていた。出向しても会社で健診を受ける。ところが出向先でも健診を受けてよいことになっている。1度でも嫌なものを、何が悲しくて2度も受けなくてはならないのかと拒否していたが、部長は必ず「自分の金を使わないで健診が出来るのだから、ぜひ受診した方がよい」と勧める。口を濁して断るのだが、どうも、人間2種類あるようだ。健診が好きな人間と嫌いな人間だ。 周囲に話を聞くと、私と同じで嫌いな人間の方が多い、理由も似通っている。要は悪いところが見つかるのが怖いのだ。しかし、論理的には健診が好きな者の言い分の方が理に適っている。今では癌でも早期発見すれば治る。糖尿や高脂血症も早く治療を始めれば大事に至らないで済む。普通に考えると、健診を愛好する者に分がある。「悪いところが見つかるのが心配なら、尚更健診を受けて早く発見し対処するべきだ。」そのとおり、批判のしようがない。だが、それでも嫌なものは嫌なのだ。他の者だって同じだろう。 知り合いの医師に尋ねたら、「健診が好きな人間は少ない、自分だって嫌だ。」と答えが返ってきた。医師だって好きとは限らない。実際、健康診断を受ける者の精神的負担は馬鹿にならないとする論文もある。 何故なのだろう。検査は完全ではない。見逃しがあるし、逆に過剰診断も多い。昨年、周囲が軒並み便潜血検査で陽性になって大腸内視鏡検査の受検が指示された。怖くなって私まで検査を受けることにした。しかし検査の結果、私を含めて大腸癌が発見された者は一人もいなかった。ただ一人だけポリーブが見つかった。大腸のポリーブは癌化することがあるから摘出した方がよいと言われる。しかし絶対に癌化するというものではない。大腸の内視鏡検査は、検査の前に2リットルの下剤を飲んで便を出し切らなくてはならず、この前処理が非常に辛い。しかも未熟な医師が検査をすると相当痛みがあると聞く。こういう苦しみを味わった検査の結果が何もなしでは、何もなくて安心したという思いと同時に、余計な苦痛を受けて損をしたという思いが湧き上がる。またX線被曝も用心が必要だ。胸の単純X線検査は放射線量が少なく、さほど問題にならないようだが、胃のバリウム検査では被曝量はかなり大きい。それですぐに癌など病気になるとは思えないが、毎年受けていると、癌の早期発見というメリットと被曝による健康被害のどちらが大きいのかよく分からなくなる。それに検査結果が陰性ならば安心とは限らない。胸部単純X線検査だけでは、初期の肺癌は容易には発見できない。便潜血も陰性ならば絶対安心とは言えない。初期の大腸癌は出血しないことがあり、またある程度進行した癌でも出血しないことがあるらしい。それに便の全体に血が付着しているとは限らず、便の取り方が悪いと検査しても出血を検出できないことがある。要するに、現行の健診で行う検査は万能ではない。かと言って絶対に安全と確約できるところまで検査をすることは現実的には不可能だ。 こういう訳で健診は万能ではなく、検査のストレスを考えれば健診を嫌う者が多くなるのは当然と言えよう。しかし、そうは言っても、それは健診を拒否する正当な理由にはならない。健診は癌に限らず広く成人病、生活習慣病やその他の病気の発見に役立つし、身体の状態(血糖値など)を知ることで健康維持に役立てることができる。やはり健診は毎年きちんと受けることが望ましい。 こうして理屈の上では分かっているのに、いざとなると身体が言うことを聞かない。どうせいつかは逝ってしまうのだから、知らぬが仏でいた方が幸せだという逃げの気持ちが溢れてきてしまう。明日は健診だ、やはり気持ちが暗くなる。人間とは困った生き物だ。 了
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