久しぶりに渋谷に出掛けた。久しぶりと言っても半年ぶりくらいだ。「あれっ?」と思う。そこにあったはずのレストランがない。近くの店の店員に聞いても知らないと言う。漸く、別の店で3ヶ月くらい前に閉店したと教えてもらった。「結構繁盛していたのに」と残念に思う。何より美味しかった。 別の店で食事をとったその足で、新宿の南口まで歩いていく。1時間ほど歩いて新宿三越アルコットに到着。ジュンク堂新宿店に入って、また驚かされる。「3月末で閉店」と壁に告知されている。ジュンク堂池袋本店ほどではないとは言え、近隣の紀伊国屋書店に優るとも劣らない繁盛ぶりに見えたのに、ここでもまた出版業界不況の煽りなのかと衝撃が襲う。こんなことでは、遥かに客が少ないジュンク堂吉祥寺店の閉店も間近い。紀伊国屋書店だって危ない。いや、何より日本随一の書店街神保町が危ない。どんどん想像が広がる。書店めぐりを趣味にしている者としてショックは大きい。 帰宅してネットで調べると、売れ行き不振で閉店するのではなく、新宿三越アルコットがビックカメラに買収されたからだと分かる。ほっとして胸を撫で下ろす。しかし、それでも書店の経営が苦しいことに変わりはない。余力があれば近くに転居することができたはずだ。電子書籍の普及や活字離れで書籍の売り上げは確実に減っている。一時的に揺り戻しがあっても、この流れが変わるとは思ない。新宿から紀伊国屋書店が、神保町から三省堂書店が消えるという事態だって、強ちただの空想ではない。その空白を携帯、パソコン、家電製品などを主力商品とする量販店が埋めていく。それを寧ろ好ましいことだと思う者もいるだろう。だが書籍には文化がある。それは携帯やテレビと違い、ただの「モノ」ではない。人間存在の息遣いがそこから響いてくる。文化は、ときに大きな変化を伴いながら、継承されていくものであり、共同体とそこに暮らす者の本質を形成する。文化が廃れれば共同体は崩壊し、人間は商品と同様、経済活動の手段(=モノ)と堕す。それは資本主義の最終的勝利かもしれないが、人間の敗北を意味する。書籍にはその時代の共同体と人間存在の本質が生の声として反響しており文化を支える力がある。心に残る本はいつまでも捨てられない。30年ぶりに再読して新たな発見がある。しかし、携帯やテレビは故障したり数年して魅力的な新製品が登場したりすれば、すぐに捨ててしまう。捨てることに躊躇いはない。こういう商品は、ただの「モノ」であり、文化の担い手にはなれない。書籍を携帯、テレビ、パソコンに代替えしては駄目なのだ。 それにしても、変化が速すぎる。渋谷、新宿、池袋だけではない。自宅の近所でも次々と店が入れ替わり、新しい住宅が建ち、(そんなに患者がいるのか心配になるが)新しいクリニックが開業する。考えようによっては、日々新しいものが登場して楽しい毎日と言えなくもない。しかし、全体的に見れば、社会が形を失っていく過程すなわち文化と共同体の衰退への過程としか思えない。 被災地など緊急を要する場所を除き、あらゆる場所で、もう少しじっくりと腰を据えて、事を進めるべきだと思う。さもないと、寿命が延びたのに、人生は機械の歯車としてあっという間に消尽し、文化と共同体はモノの単純な数学的集合体へと変貌してしまう。もしかしたら、それは生物進化の人間的な表現で、避けることのできない必然なのかもしれない。だが、そうではないことを祈るし、たとえ無駄な足掻きだったとしても、抗ってみるべきだと思う。 了
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