☆ 人口論 ☆


 東京生まれの東京育ち。やはり東京が好きだ。東京は便利で何でも物が揃っている。世界でもこれほど物が溢れている場所は他にはないだろう。しかし東京が暮らしよい場所とは言い難い。地方に暮らす人に東京暮らしを勧める気にはならない。

 57になるまで独身だが、東京でずっと暮らしてきた影響があるように感じる。どこに行っても人で溢れかえっている。少し前まで、年始だけは、さすがの都心も閑散として、一年に一度の休息を味わっていた。しかし今では元旦から量販店や百貨店がオープンし人で賑わっている。正に24時間365日働き続ける町へと変貌した。どこに行っても、人、人、人、正直、煩わしい。

 多くの生物種では、個体密度が一定限度以上に増大すると繁殖率が下がると言われる。個体密度が増大し過ぎると餌が不足し、絶滅の危機に瀕することになる。だから、個体密度の増加と反比例して繁殖率が低下し環境と個体数の均衡を保つことは理に適っている。正に自然の摂理とも言えよう。

 人も同じ自然の摂理に従っているに違いない。だから東京のように人口密度が過剰な場所では、人は無意識のうちに繁殖活動を避けるようになる。人間は他の生物と異なり様々な社会制度を作る。その一つが婚姻という制度で、それは自然には還元できない性格を有する。それでも生身の肉体を持つ人間は自然に拘束されている。自然の摂理とは別の次元に生きているつもりでも、根っこのところで自然に繋がっている。

 過剰な人口を抱える都会が便利なのは、結婚の必要性をなくす自然の摂理の企みとも思える。雑踏が心地よいと感じるのではなく、鬱陶しく感じるのも、同じ理屈に違いない。その結果、男も女も結婚を避け個体密度の低下が進む。

 厄介なのは、人間が文明の利器にどっぷりとつかり、他の動物のように、個体密度が低い場所に容易には移住できないことだ。その結果、都会から地方への人口移動が発生せず、全体として少子化の傾向が生じる。それでも発展途上国では新天地を求め、人口密度の低い空間にどんどん進出する活力があるから、食糧事情と衛生環境の改善も手伝い人口は増加する。しかし先進国では行政の手厚い保護がない限り人口は減少に向う。

 これは私の勝手な人口論に過ぎず、科学的な根拠はない。いわば結婚しない(できない)言い訳でもある。とは言え、密かに、案外当たっているのではないかと自負している。


(H24/2/13記)


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