☆ 商取引と良心 ☆


 ときどき古書店で本を売る。半年ほど前、ある物理学の専門書(翻訳)を売却した。人気がある著作だったが、原書第2版が出版されたこともあり、第一版の翻訳書は久しく絶版状態になっていた。もし、第2版の翻訳が出版されていなかったら結構な値が付いて売れただろう。しかし、第2版の翻訳が出版されたので、第1版の価値は下がった。

 実は第1版をまだ読んでいなかったので、月給が出たのを機に第2版を購入し第1版は捨てるつもりだった。第2版が出た以上第1版を売りにいっても大した値が付かないだろうし、古書店の棚に並んでも買う者はいないと踏んだのだ。しかし、他にも始末したくなった本があったので併せて古書店で売却することにした。値を付けるためにネットか何かで古書店の店長?が調べている。第2版の翻訳が出版されていることが分かり、二束三文の値になると予想していた。ところが思いのほか高い値がついた。他の本は今でも大型書店ならば棚に並んでいる容易に入手できる専門書でしかも書きこみ跡があり傷みも進んでいたから高い値が付くはずがない。だとすると、すでに第2版の翻訳が出ている第1版の古書に高い値を付けたとしか考えられない。

 調べたデータベースに第2版が翻訳書として出版されたことが掲載されていなかったのだろう。その本はもう第2版の翻訳が出ていて書店に並んでいると教えてあげようかと思った。しかし、そんなことをしては古書の専門家のプライドを傷づけることになる。いや、正直に言えば、高く値が付けば嬉しいからそのまま黙っていたというのが本当のところだ。

 第2版よりも第1版の方が優れている著作も確かに少なくない。その場合は、絶版になっている第1版の古書に価値が出る。古書店の店長はそのことを知っており、だから第2版が書店で容易に手が入ることが分かっていながら高い値を付けたのかもしれない。しかし、どうみてもそうは思えない。この古書店は確かに理系の本も扱っているが、主力は社会科学・人文科学系の著作、岩波文庫の絶版本、文学全集、映画の本などが主力商品で理系の本の占める割合は小さい。店長も店員も理系の本にさほど詳しいとは思えない。だから十中八九、第2版が出ていることに気付かずに人気があるのに絶版になっている著作と判断して高い値を付けたに違いない。そう考えると、第2版が出版されていると申告するべきだったという思いが強くなる。

 それから暫くして店に行くと、自然科学書コーナーに売った本が陳列されている。値段を見ると、定価のほぼ倍、第2版の翻訳書よりも高い。やはり第2版が出ていることに気付かなかったに違いない。その後、ちょくちょく店に顔を出すが、本は一向に売れていない。第1版が第2版よりも優れており人気があることもあると言ったが、この本はそうではなかった。第1版を真剣に読む前に売ってしまったのだが、売る前にざっと斜め読みをして第2版と比べてみたが、第2版よりも優れているところはなかった。

 たくさんの本の一つで値付けを失敗したからといってこの古書店の経営が苦しくなる訳ではない。古書店ならばどんな店でも同じような失敗をしているだろうし、この古書店も同じようなことを何度も繰り返してきたに違いない。そうは言っても、いつ行っても売れ残っている本を目にするたびに良心が痛む。そのたびに「原書第2版が翻訳され出版されている」と正直に告げるべきだったという思いが募る。専門家でもあらゆる分野に通じている訳ではないから適切な値付けには売る側からの情報提供が欠かせない。私はそれを怠った。良い値が付いたことに喜んで。

 店長が算定していたとき、私は本棚の本を眺めて待っているだけで、高い値が付くように誘導したことはない。また本当に第2版が出版されていることを知らず高く買い付けたのか、それとも知っていて敢えて購入したのかは分からない。だから私が法律で罰せられることはないだろう。しかし法律で罰せされることと、良心の問題とは別次元にある。その意味で、私には道義的な責任があるように思われる。

 かと言って今更本を買い戻す訳にも行かない。高い値が付いたとは言え、今ここで商品として並んでいる本の値段よりは遥かに安い。ここで買い戻したのでは赤字が残るだけだ。私は少しも疾しいところはない、専門家なのに気が付かない方が悪い、自分の心にそう言い聞かせて、今日も知らん顔をして本棚に視線を泳がせていく。

 本件は小額の取引であったが、現実のグローバル市場でも同じようなことがたくさんあるに違いない。確かに罰則には相当しない。しかし適切な情報が提供されていないのは事実だ。そう思うとグローバル競争とは如何に恐ろしい世界か想像が出来る。効率が良くとも、それで本当に良いのかと思ってしまう。

 あの本が早く売れて、私の肩の荷がおりる日が一日でも早く訪れるようにと心から祈っている。同時に、市場のグローバル化が正直な社会をもたらすことを祈りたい。どちらも、ほとんど不可能な気がするが。


(H23/10/1記)


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