科学史の偉人と言えば、1にニュートン、2にアインシュタインが挙げられる。99年のタイム誌の特集でも、20世紀を代表する人物としてアインシュタインが、17世紀を代表する人物としてニュートンが挙げられていた。それほどこの二人の存在は巨大だった。さらに、この二人に匹敵する業績を挙げたと目されているのがダーウィンとガリレオで、この4人を科学界の四天王と呼ぶこともできる。 この4人に比べると、イギリスの物理学者マックスウエル(1831〜1879)は地味な存在で、その名を覚えていない者も少なくない。しかし、現代文明への影響、現代科学への貢献という観点からすれば、マックスウエルの存在は、ニュートンやアインシュタインを凌ぐと言っても過言ではない。150年前、マックスウエルは、その電磁理論(マックスウエルの方程式)により、電気、磁気、光の理論を統一し、電波の存在を予言した。さらに、気体運動論を提唱し統計力学の創設にも多大な貢献をしている。電磁理論には、「ろうそくの科学」などの啓蒙書でも著名なファラデーという偉大な先駆者がおり、マックスウエルはそれを数学的に完成させただけだという意見がある。ファラデーが高等教育を受けていないにも拘わらず、歴史に残る画期的な科学的業績を挙げ、「ろうそくの科学」など優れた一般読者向けの啓蒙書で広く社会に知られ、人々の称賛を浴びていることもあり、勢いマックスウエルの影は薄くなる。さらに19世紀の科学的な大発見と言えば、多くの者が第一にダーウィンの「種の起源」=ダーウィン進化論を思い浮かべることも、マックスウエルの存在感を希薄なものにしている。 しかし、公平な観点で、その業績を評価すれば、マックスウエルが上に挙げた著名な科学者に優るとも劣らない歴史的貢献をしていることが明らかになる。光、電気、磁気に対する独創的で深い洞察に支えられて初めてマックスウエルの方程式に象徴される電磁理論は完成できた。それはけっして既存の理論の数学的な表現に留まるものではない。特に光が電磁波の一種であることの発見はマックスウエルの完全なオリジナルと言える。アインシュタインの特殊相対論の骨子は、物理法則のローレンツ変換に対する不変性であるが、マックスウエルの方程式は最初からローレンツ変換に対して不変的な形式を有している。見方を変えれば、アインシュタインの特殊相対論はすでにマックスウエルにより確立されていたと言ってもよい。事実、アインシュタインはニュートンよりもマックスウエルから多くを学んだと語っている。量子論もマックスウエルの理論があったからこそ、多くの優れた物理学者の手でそれを超えるものとして構想され完成させることができた。さらに現代物理学の根本原理となったゲージ理論もマックスウエルの方程式に端を発している。つまり、統計物理学への貢献も併せ、現代物理学の創始者の名に相応しいのは、アインシュタインや、プランク、ボーアなどの量子論の創始者たちではなく、寧ろマックスウエルなのだ。 一方、現代文明を支える土台が電気と電波であることは誰も否定しないだろう。この二つの存在はマックスウエルの電磁理論に基づいている。発電の技術は確かにマックスウエルの電磁理論に先立ち発明されていた。しかし、合理的に発電機の設計・製造・運転ができるようになったのは、マックスウエルの理論によるところが大きい。電波の利用は正にマックスウエルの電磁理論の賜物だ。電力の利用で得られる快適で便利な生活、テレビや携帯で容易に情報が得られる環境、正に現代文明はマックスウエルの業績に支えられている。 マックスウエルは純朴な人柄で、富や権力や名誉には無頓着だったと言われている。また天才特有の奇矯な言動もなかった。それもあってか、彼の人生にはドラマの題材になるようなエピソードはない。それが彼の存在感を薄くしている理由の一つかもしれない。マックスウエルの偉大な業績に接するとき、業績の割に世間から評価されていないことをとても残念なことだと思う。だがその一方で、この純朴で賢明な物理学者の人柄と人生を考えるとき、それは彼自身が望んだ立ち位置なのだとも思える。そして、現代社会において必要とされているのは、マックスウエルのような優れた才能を持ち、ずば抜けた業績を挙げながらも、謙虚で、富や名誉、権力に無関心で淡々と自分の仕事を遂行していくような人物なのではないかと思う。 了
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