☆ 思想は変わる ☆


 若い頃は思想を変えることは良くないことだと信じていた。でも最近はそうではないと考えるようになった。無節操に立場を変えることは問題だが、一つの考えに固執することは良くない。

 若い頃は、自衛隊と日米安保が違憲であることは自明の理であり、統治行為論で憲法判断を回避した判決は司法の自殺行為だと考えていた。事実、憲法制定時には一切の軍備の放棄、軍事同盟への不参加が想定されていたと思うし、それを多くの者が支持した。しかし、非武装中立が現実的な政策として採用しうるのは、諸外国が日本の平和主義、不戦主義を尊重し、日本との交渉において、直接的な軍事行動は言うまでもなく、威嚇や拉致を含む如何なる暴力も行使しないということを確約し、それを実行するときだけだ。常識的に、どの国も自国の民を守る義務と権利を持ち、一方的に相手が暴力に訴えるときには暴力で応酬するしかない。戦前に比較すれば先進国を中心に世界は平和へと向かっているとは言え、依然として戦争やテロが絶えず、米国、ロシア、中国など超大国は外交手段としての戦争を放棄していない。悲しいかなこういう現実を前にすると、自衛隊は必要であり、現行の日米安保が唯一の選択肢ではないにしても、強力な軍事力を有する外国と何らかの安全保障のための条約を締結することも止むを得ない。憲法も、一切の武力や軍事同盟による自衛の権利を放棄したものではないと解釈できるから、自衛隊も日米安保も違憲とは言い切れない。また日本という国の存亡に関わる問題なのだから司法判断に馴染まないとする統治行為論にも一理ある。

 以前は、私企業は労働搾取の現場であるとする伝統的なマルクス主義に共鳴するところが多かった。今でも私企業が本質的に利潤追求の組織であり、必要であれば労働者を劣悪な環境に押し込むことも辞さない存在であると考えている。それゆえ私企業の活動には一定の制約を課すことが欠かせない。それでも私企業の本質が労働搾取にあるとする考えにはもはや与することはない。古典的マルクス主義者は厳格な労働価値説に固執するため、利潤の源泉として(剰余)労働搾取以外に思考回路がなく、私企業が利潤を増やしながら、従業員の待遇改善ができることを理解できない。理論上、一企業あるいは一部先進国ではそれが可能だとしても、共産主義革命を遂行しない限り、グローバルな市場全体では労働者は必然的に悲惨な状況に陥ることになる。だが、それは理論的にも、現実的にも、正しい見方とは言えない。貧困の問題は、今でも極めて深刻であり、依然として国際社会最大の課題、戦争やテロの最大の震源地だが、その原因を資本主義という経済システムだけに求めるのは間違っている。また資本主義を解体しないと貧困の問題を解決できない(逆に言えば、資本主義を解体し共産主義を実現すれば貧困の問題を解決できる)という考えも根拠は薄い。

 明治維新から敗戦までの日本は、中国、朝鮮などアジア諸国を侵略し、現地の人々を虐げ、その労働を搾取することで繁栄を図る帝国主義だったと理解してきた。そのような解釈には一定の妥当性があると今でも確信している。ただ明治維新当時の弱小国家日本が、帝国列強の圧力の中で生き残っていくために取ることが出来る道が限られていたこともまた事実だ。最善の選択をしたとは言えないにしても、植民地化を免れ国の発展に一定の成果を残したという点で、明治以降の政府がそれなりに上手く立ちまわったことを否定することはできない。お陰で、敗戦直後を除けば、日本人は植民地という屈辱と艱難辛苦を味わうことはなかった。日米開戦、それに先立つ中国への侵略の拡大、様々な残虐行為など明らかに愚かな選択があったことを差し引いても、明治維新から敗戦までの日本の歴史を全くの暗黒と思い描くのは公平ではない。明治以降の日本の歴史を卑下する必要はなく、反省すべき点をはっきりさせ、反省し、将来に活かせばよい。

 こんな風に私の思想は変わってきた。保守化しただけ、日本社会全体の思潮の変化と並行しているだけ、と言われるかもしれない。だが、やはり歳とともに経験豊かになり、知識を積み重ねてきた結果、若い頃よりは賢くなったのだと思う。ただ賢くなった中には悲しさもある。「非武装中立が唯一の正しい政策だ」、「私企業を超えた真に人々が協力しあう公平な経済システムを実現する」、「戦前の日本を完全に清算して全く新しい理想の社会を構築する」、こういう理想主義が実現不可能であることを認識せざるを得なくなったからだ。理想を断念するとき、人はその反動でニヒリズムに転落したり既得権益に固執したりするようになる。理想の実現の不可能性を認識しつつも、理念を抱くことが良く生きるために欠かせないことを肝に銘じておくことが大切なのだ。だが我が身を反省するとき、それが極めて難しいことを認めざるを得ない。


(H23/2/11記)


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