☆ 志を持つには ☆


 明治時代の日本は評価が分かれるところだが、それでも凄いと思うことがある。何が凄いかと言うと、250年もの間、鎖国しエリート階級でも外国と接する機会が乏しかった日本人が、欧米列強と外国語で交渉ができたことが凄い。中学から大学まで10年以上、熱心な教師の指導の下、懇切丁寧な教科書で学習してきたというのにさっぱり英語が話せず、街で外国人を見掛けると英語で道を尋ねられるのが怖くて急ぎ足で通り過ぎるのが習い性になっている者には奇跡に思える。

 明治時代の日本は貧しく欧米列強と比べてあらゆる面で遅れを取っていた。開国当時の19世紀後半の世界には民族自決権などという思想はなく、強い国が弱い国を侵略し支配することは当り前のことだと考えられていた。このような時代背景の下、日本は生き延びるために必死だった。教材もない中、嫌でも英語やフランス語、ロシア語などを習得する必要があった。流暢な外国語ではなかっただろうが、それでもとにかく外国語を習得し外国相手に交渉をした。今の日本人ではとても無理な芸当だろう。

 この違いはどこから生じるのか。近年、経済が低迷しているとは言え、豊かになり世界でそれなりの存在感を示している現代日本と明治の日本、民族自決権が自明の理として承認されている現代と帝国列強が覇権を競った時代、良くも悪くもこの時代背景の差が決定的な意味を持っている。一言で言えば、明治の日本には、欧米列強に対抗して国を守り発展させるという大きな目標があったが、今の日本にはこれと言った目標がない。現代の中国並びに韓国と日本を比較しても同じことが言える。悪いところもたくさんあったが、とにかく明治の日本人には志があった。

 ところが今の日本は違う。良い教師、良い教材、良い学習環境が揃っていても活かせない。児童たちは有名大学の卒業証書を得るという小市民的な目的のために嫌々勉強しているに過ぎず、志がないから身に付かない。この傾向は70年代、筆者の学生時代からすでに顕著になっていた。それが近年益々加速している。書店に立ち寄ると大学生向けの懇切丁寧で平易な教科書が目立つ。学生時代こういう教科書があったら自分にも理解出来たのにと残念に思うことが少なくない。微分幾何学やトポロジーなど当時は平易な教科書がなく、高度な専門書を前にして最初の10ページで沈没した。ところが今の学生たちを見ていると、これだけ良い教材が揃っているのに、相変わらず理解が進んでいない。東大などトップクラスの大学ですら、そうらしい。「微分幾何学?僕の専門には関係ないですから。」で済ませている。マイクロソフトやシスコの資格など就職に役立ちそうな資格には興味を持つが、広く教養を身に付け世界に羽ばたこうという志を持つ学生は少ない。せっかく高い知能と優れた学習環境があるのに宝の持ち腐れになっている。

 日本の低迷には様々な原因がある。人々の志が低いことが原因だと言うことはできない。志が低いのは、志が低くなる環境があるからだ。豊かになったこと、情報が容易に得られるようになったこと、こういう環境改善が却って人々の意欲を削いでいる面がある。寧ろ一定水準までは若干の飢餓状態にある方が人々の意欲を高め、高い志を持たせるには有利だと言える。一方、政治家たちの茶番劇が人々の退廃的な気分を増長させていることも見逃せない。豊かになったとは言え近年格差が拡大し、それがモラルの低下にも繋がっている。

 人々が高い志を持ち世界に挑戦する気概を持たない限り日本の未来は拓けない。サッカーや野球などスポーツ界では、若者がどんどん外国へ進出している。その結果、サッカーは飛躍的に強くなり、野球も日米の差が縮まった。環境次第で人は変わる。プロスポーツの世界では、外国で成功すれば莫大な富と名声が得られ、たとえ失敗しても海外でプレイした実績で一定の評価を受ける。だから挑戦しやすい。一方ビジネスの分野ではリスクが大きく、学問分野では成功してもノーベル賞でも受賞しない限り大した富と名声は手に入らない。これでは、そこそこに生活が安定している現代の日本人がリスク回避に傾き海外進出を躊躇うのも無理はない。

 この状況を変えるには政治とメディアの役割が重要になる。留学生に対する奨学金など支援制度の充実、外国の大学・大学院出身者の優先的採用、外国に渡りビジネス、学問、芸術などの分野で活躍する日本人をメディアが積極的に取り上げPRすること、逆に外国から優秀な人材を積極的に受け入れ高い報酬と地位を与え日本人に刺激を与えること、こういった施策が欠かせない。勿論本当のことを言えば、ニンジンを目に前にぶら下げるような遣り方は余り好ましいものではない。だが、人は怠惰に流れやすい。資源に乏しく貧しかった時代の日本人は嫌でも勤勉にならざるを得なかった。そこから強い意志と高い志も自ずと育った。だが今の日本は巨額の対外資産と貿易黒字で食糧需給率が低くとも食べる物に事欠くことはない。このこと自体はとても良いことではあるが、高い志が生まれにくい環境であることも間違いない。しかし少子高齢化が加速している日本で、いつまでも貿易黒字で生活に必要なものが外国から自由に手に入る状態が続く保証はどこにもない。日本社会の安定を維持するためには聊か姑息な手段を使ってでも人々のチャレンジ精神を刺激する必要がある。


(H23/1/31記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.