☆ 書痙 ☆


 人前で手が震えて字が書けなくなることを「書痙」と言う。器官的な疾患によることもあるが心理的な要因によることが多いと言われている。10年ほど前のことだが、友人の披露宴で記帳する際、手が震えて字が思うように書けない。枠をはみ出しミミズが這うような文字に冷や汗をかきながら席についたが動揺は鎮まらず披露宴どころではなかった。パニック症を患い、治りかけた矢先のことで、まだ不安を抱えていたのだろう。それ以来、幾度か同じような体験をして今に至っている。血尿で慌てて病院に駆け込んだ時、定期預金が満期になり受け取りに行った時、手が震えて字が書けない。血尿のときはそのこと自体で心が動揺していた。預金の時には、窓口で待っている間に過去の震えの体験が脳裏を過り不安が高まり案の定字が書けない。

 様態は様々だ。血尿のときはパニック発作、預金のときは社会不安障害に近い。書痙は社会不安障害の一種だと説明している本があるがそれほど簡単ではない。ただ背景には二つの要因がある。まずは予期不安。膀胱癌の恐れ、手が震えて字が書けないという予感、これが震えに繋がる。もう一つは虚栄心。恥をかくことに対する恐怖、それが不安に輪を掛ける。披露宴でも、病院でも、金融機関の窓口でも、誰ひとりとして責める者もいなければ、笑う者もいない。寧ろ助けてくれる。自分で勝手に要もないプライドを傷づけているだけなのだ。

 しかし、厄介なことに予期不安も虚栄心も人が生きるためには欠かせない。不安を予期するからこそ無用な危険を避けることができる。虚栄心は複雑な社会関係を営む人間にとって自己を高め他人に対抗するために欠かすことができない。ところがそれが度を超すと書痙になる。

 予期不安と虚栄心が原因なら、そのことを認知すれば回復しそうなものだが人間の本質に属する性向だから簡単にはいかない。行動療法で、人前で字を書く練習を繰り返して慣らすことも考えられるが、却って悪化する恐れがある。森田療法も悟りの境地に到達することが容易ではない。精神分析は効果があるとは思えない。

 筆者の場合、日常生活や仕事に支障がないので大して苦にはならない。しかし教師のように常日頃から人前で字を書く職業だと事は深刻になる。仕事に支障があり本人の苦痛は計り知れない。だから専門家による本格的な治療が必要になるが、容易に治らず苦労している者も少なくないと思う。

 パソコンやネットの普及で字を書く機会が減ってきたお陰で、筆者のような者は齢を重ね恥が怖くなくなる日を待っているだけで済んでいる。とは言え、訪問先の受付で名前を書かなくてはならないと思うだけで気が重くなる。現地で震えが出ないように適当な理由を付けて事前に申請書をもらい記入していくこともある。いざというときに手が震えるようなら寿命が縮まる。厄介極まりないのだが、これも自分の一部なのだと受け入れるしかない。だが別に不幸とは思わない。寧ろ幸いなのかもしれない。先ほど述べたとおり、世の中ほとんどの人は善良で、いざとなれば助けてくれる。書痙のお陰で、そのことをいつでも実感できるからだ。


(H22/8/8記)


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