☆ ご挨拶 ☆


 店に入って眺めるだけで何も買わずに外に出る。すると「ありがとうございました」という声が聞こえてくる。こういう挨拶は如何なものだろうか。知人に聞くと「実に気持ちよいではないか。買い物をしなくとも店に立ち寄っただけでお客様として扱ってくれるのだから」と褒める。

 しかし、私はどうもこれが苦手だ。店を出るときにこういう言葉を掛けられると、「次は絶対に何か買ってください。次も何も買わずに店を後にしたら、ただではすみません」と警告されているような気がする。店を出るときだけではない。書店で立ち読みをしていると、盛んに近くの店員が「いらっしゃいませ」と声を掛けてくる。「立ち読みをするな」と警告しているのかと思ったら、そうではなく万引きを警戒しているらしい。なるほど店員にしきりに声を掛けられたら万引きも遣り難い。しかしこの私が万引きをするとでも思っているのか。失礼な。顔を見れば万引きをするような人物かどうかすぐに分かるはずだ。憤慨して家に帰り鏡を見ると確かに万引きしそうな顔をしている。しかし顔はそうでも、誓って言うが、生まれてこの方、万引きなど一度としてしたことがない。子どもの頃、店のおばさんが留守で、幾ら呼んでも誰も出てこず、欲しい物を諦めて帰ったことが何度もある。残念ながら鏡に映る我が人相を見ていると、私を疑った店員に罪がないことを認めざるを得ないが、それでもこっそりと気が付かない振りをして警戒することだってできるではないか。挨拶にそういう意味があるなんて、がっかりだ。

 「考え過ぎだ。知らない者同士でも顔があったら挨拶する。これが人間関係を円満に保つ秘訣だ。買うことを強要されているとか、万引きだと疑われているなどと余計な詮索はせずに、「御苦労さま」と返答するか、静かに会釈でもすればよい。」と知人は私を宥める。なるほどそうなのかもしれない。だが、やはりいざとなると駄目だ。マニアル通りに挨拶をする、万引きされないように警戒する、まるで機械のように精確に業務を遂行するという雰囲気に馴染めない。言葉使いは丁寧なのだが言葉に心が籠っていないと感じてしまう。

 だが、こんなことを言っておきながら、店に入る時も、出る時も、一言の挨拶もないと、それはそれで気分を害する。機械的な感じでも、挨拶はサービスのうちなのだ。万引きを警戒するという隠された意図があるにしても、半分以上はお客様に感謝の意を伝えるという意味合いがある。それを素直に受け止めればよい。しかし今日も買い物をせずに店を出ようとして、「ありがとうございました」と言われて居心地の悪さを感じてしまった。どうやら問題は私の性格にあるらしい。次からは買う物を決めてから店に入ることにしよう。次までこの誓いを覚えているとは思えないが。


(H22/7/17記)


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