野生のトキの復活はやはり無理だった。野生に戻して番となってトキたちは、最後の番も烏に卵を奪われ子孫を残すことはできなかった。「覆水盆に返らず」、失われたものを復元することはできない。生命は砕け散ったガラスのコップよりも遥かに複雑で、幾ら自己増殖能を有するからと言って、絶滅種を自然界で復元させることはできない。たとえ一時的に子孫が育ってもすぐに絶滅の危機に瀕することになる。数が少なく、暮らしに適した環境は乏しく、一方で天敵は多く、日本の自然とはもはや調和しようがない。 トキを自然に返すという話しを聞いたとき、すぐに無理だろうと感じた。そして、たとえ可能だとしても、それは人間の身勝手な感傷に過ぎず、寧ろ生命を弄ぶものではないかと恐れた。トキは2世紀前には東アジアに広く分布するありふれた鳥だった。それが乱獲と生息環境の破壊で急速に絶滅に向かい今では中国に僅かな数の野生のトキがいるに過ぎない。もはやトキは人工的な環境の中で守っていくしかない。 人はありふれたものには興味を示さない。ところが絶滅に瀕していると知ると途端に態度が変わる。そして一旦絶滅した種を復元しようなどとする。だがそんなことをトキは人に頼んだのだろうか、望んでいるのだろうか。 いずれ、残された遺伝子から元の生物を復元するなどということもできるようになるかもしれない。だが復元された生物が自然界で繁栄することなど望みようもない。人間はそれほど賢くはない。本当に賢ければ、たくさんのトキが今でも東アジアの空を美しく染めていた。人はいつでも先のことを心配しているのに、いつでも読み間違える。貴重な存在に気が付かず、どうでもよいものが大事であるかのように振舞う。 だが、現代人は様々な出来事を精確に記録することができるようになっている。その記録は未来のために役立つはずだ。トキが滅んでいったこと、再生の試みが不可能なことをしっかりと記録し、後世に伝え、私たちの身の回りにある本当に貴重なものが何であるか、それが今どのような状態に在るのか反省するために役立てること、これが人に与えられた使命なのだと思う。 了
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