☆ 悟りの道は遠い ☆


 気の弱い知人が「血尿が出たので慌てて病院へ診察に行ったら、医者にこんなことを言われた。」とぼやいている。

 どうやら、検査の後に、こんな問答があったらしい。「先生、癌ではないですよね。」、「癌ではないと思う。しかし癌でなくてもいずれ死ぬから心配することはありません。」、「でも、まだ死にたくありません。」、「今、生きているではないですか。」知人が話しを誇張しているのだと思うが、医者にしては、いささかブラックユーモアがきつ過ぎる気がする。

 しかし話しをよく聞くと、医者は哲学的真理を語った訳でも、知人を脅かした訳でもないことが分かった。知人が余りに動揺していたので、気を落ち着かせようとして一寸したジョークを口にしただけなのだ。事実、その後、血尿の考えられうる原因、原因不明の血尿が多いこと、癌の場合はこれこれの症状が現れることが多いなど丁寧に説明してくれたとのことだ。親切な医者ではないか。

 自慢ではないが、気の弱さでは知人は愚か他の誰にも負けない自信がある私も、血尿で幾度か震えあがったことがある。最初に血尿を体験した時にはホームドクターに紹介状を書いてもらい、その足で病院に駆け込んだが、受付表に書きこむ手が震えて名前を書くことが出来ず、親切な事務員が代わりに書いてくれたことがあった。二度目は最初よりは落ち着いていたが酷く動揺していたことに変わりはない。

 「人はどんなに丈夫な者でもいずれは死ぬ」、「死を恐れているときは生きている」これは誰でも知っている真理だが、エピクロスのような賢人がわざわざ口にして人々に説いたように、人間はこの当り前の本当は誰でも知っている真実から目を逸らしている生きている。だから血尿くらいで大騒ぎをする。この真理を真正面から受け止めて生きていくことができれば、血尿くらいでびくびくすることはない。ただ淡々と診察を受け、万一癌であれば治癒の可能性があるかどうかを確認し、後は治療を受けるか、治療を断念してホスピスに行くかを決めればよい。その後どうなるかは天が決めてくれる。

 そうは言っても、私や知人に限らず、そこまで悟りを開けないという者が少なくないと思う。だとしたら、やはり日頃から健康に留意して身体に悪いことを極力避ける努力が必要だろう。幸い知人は煙草を止めると言う。血尿と煙草のどこに関連があるのか知らないが。私もその話しを聞いて夜更かしを止めて早寝早起きをすることにした。ところが、誓いを立てたその日から夜更かしをしている。私の場合、悟りを開くよりもまず精神を鍛えることから始めないと駄目なようだ。だが精神を鍛えるには、まず精神を鍛えないと駄目だから、これは何とも難しい。


(H22/5/5記)


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