☆ 何故、花は美しいのか ☆


 快晴の日曜日、春を思わせる暖かい日差しに誘われて吉野梅郷まで足を延ばす。家族連れや恋人たちが思い思いに咲き誇る梅の花を眺めて寛いでいる。花だけではなく、忙しない都会の雑踏を離れ寛ぐ人々の姿を眺めるのも悪くない。

 ところが、花を楽しむ老若男女に交じって、全く花に興味を示さない者たちがいる。愛犬家たちが連れている犬たちだ。流行なのだろうか、トイプードルとチワワの姿が目立つが、柴、レトリーバーなど多種多様な犬たちが遣ってきている。だが花など一向にお構いなしの態度は共通している。「花より団子」は人よりペットたちに相応しい。

 だが、考えてみると不思議だ。何故、人は花を美しいと感じるのだろう。植物は鳥や昆虫に甘い果実や蜜を与え、代償に受粉や種子の分散など繁殖を手伝わせる。だから鳥や昆虫が花に魅力を感じるのは自然の摂理に適っている。しかし人や犬は、特別に植物と共生関係にある訳ではない。だから、花に興味を示さず、ひたすら遊ぶことと食べることに熱中している犬たちの振舞いの方が自然だということになる。いったい花の何が人を惹きつけるのだろう。

 植物は鳥や昆虫とは共生関係にあるが、人間とは特別な関係はないと論じた。だが実はそうではないのかもしれない。人間は他の生物には決して真似できない高度な技術を持っている。だから人間に好かれた生物は人間の手で大いに繁栄することになる。一部の植物たちは進化の過程で人間を巧みに操り種の繁栄を図る能力を身に付けた。それは共生と言うよりも、植物たちによるマインドコントロールと呼ぶのが相応しい。人は公園を造り、花を育て、植物を支配しているつもりなのだが、本当のところは植物が仕掛けた罠に掛かり、花を美しいと感じるように強いられているのではないだろうか。

 人類が文明化してから僅か数千年。植物が偶発的な突然変異を通じて、そのような高度な能力を身に付ける時間的余裕はなかったはずだと考える者も多いだろう。しかし植物は遥か昔から昆虫や鳥を上手く手懐ける方法を身に付けてきた。だから人間を支配することもさほど難しいことではなく、過去に獲得してきた能力を少しばかり変更するだけで人を手懐けることができるようになったとしても不思議ではない。ただ植物は鳥や昆虫とは互いに利益を与えあう相利共生関係にあるが、人と美しい花を咲かせる植物との関係は植物だけが利益を得る片利共生関係にある。植物には意識も思考もないと人は信じている。しかし実は植物は人よりもずっと賢い。

 地球の生態系を支えているのは光合成による一次生産者である陸上植物と海洋の植物性プランクトンで、人を含めて他の生物は植物に依存して生きている。地球生態系の中心に位置しているのは人ではなく植物たちだ。だから植物たちが他の生物を支配していても少しもおかしくない。寧ろそうなっているからこそ地球生態系は維持されてきた。

 こんなことをつらつら考えながら歩いていたら、日が傾き閉園時刻が近づいてきた。詰らないことを考えていないで花を楽しむべきだった。花が美しいのは何故か?理由など要らない。それは植物の策略なのかもしれないが、たとえそうだったとしても、それは人にとっても楽しい策略で、支配されていると分かっても腹が立つことはない。先ほどは植物だけが利益を得る片利共生だと言ったが本当は相利共生と考えるのが正しい。山々に囲まれた花が咲き乱れる公園は、無機的な都会と比べて天国ではないか。花が美しい理由など詮索せず、ただ花を眺めて幸せな気分に浸っていれば良い。そう思い直し、聊か後悔しながら帰宅の電車に乗り込んだ。


(H22/3/20記)


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