3月14日、吉祥寺の伊勢丹が業績不振で38年間の歴史に幕を下ろし閉店した。最近はご無沙汰しているが、吉祥寺が遊び場だった者にとっては何だか寂しい。 井の頭公園入口の焼鳥屋や独特の味わいの羊羹一筋の店など吉祥寺には半世紀前の子ども時代、いや80を過ぎた母親の子ども時代から続いている店が幾つか残っており、武蔵野の歴史を今も保ち続けている。とは言え、半世紀前の写真と見比べると随分と様変わりしたことは否めない。行き交う人たちの顔ぶれも一変した。日本の社会全体が著しく変貌したのだから当り前のことだとは言え、顔なじみの者たちが集う平穏な共同体が、ごく普通のどこにでもあるお洒落な街の一つに変容し、週末には遠くから遊びに来た見ず知らずの者たちで雑踏ができているのを見ると、故郷を失ったような悲哀感すら漂う。 そう言えば、七五三のお祝いや入学用の写真を撮ってもらった近所の写真館も先日閉店した。デジカメが普及し、証明書用の写真がどこでも簡単に撮ることができるようになり、町の写真館に足を運ぶ者はめっきり減ったと聞いた。おそらく商売が成り立たなくなったのだろう。写真館は独特の雰囲気があり、そこに入るとどこか背筋がピンとなるような場所だった。ところが、今やそういう場所はどこにもない。 町が変貌することは自己喪失に繋がる。それは別に高齢者特有の出来事ではなく児童でも変わるところはない。半世紀前より遥かに豊かになり、児童の人権も大幅に改善されたのに、半世紀前にはなかった学級崩壊や苛め、不登校などの社会問題化は、児童たちの不安や苛立ちを象徴している。そして、その背景には急激に変貌する町の現実が潜んでいる。 常に変化することが要求され、変化なしには成立しない現代社会では、人々は町の変貌と喪失感に耐えなくてはならない。だが、いつかそれに当り前のように人々が順応する日が来るとは思えない。寧ろ、変化を強要する社会そのものの変革が求められる日が来るに違いない。いや、そういう日が来てほしいと願う。それは老齢の域に達しつつある者だけのノスタルジーではなく、老若男女を問わず無意識のうちに皆が抱いている願望ではないだろうか。 了
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