誕生日を迎えて55歳になった。正直この歳になると目出度いとは言えないが、素知らぬふりをしていても、どこから聞きつけてきたのか、「誕生日おめでとう」などと言われ、お菓子などを奢ってもらえる。恥ずかしいやら嬉しいやらで、誕生日という制度はやはり悪くないと思いなおす。 それに55という数字は感じが良い。55は11と5という二つの素数の積からなる。11が素数だから、別に55だけではなく、22、33、77も二つの素数の積になるのだが、2は偶数で素数という感じが今一つしない。その点、33と55は如何にも2つの素数の積という感じで気持ちがよい。しかも5+5=10だから、何かパーフェクトという雰囲気が漂っているのもよい。 その一方で、55にもなると年金が気になるようになる。誕生月に合わせて、ねんきん定期便が自宅に届いたが、正直言って、「こんなに少ないのか」と少々がっかりする。大した働きもしていないので当然の結果なのだが、サラリーマンは企業年金と貯金が頼りだと言う誰かさんの意見が本当だと実感する。まあ、そうは言っても、くよくよしてもしようがない。欲を出さず、地道に暮らしていけば何とかなる。収入がそれ相応にあるときはお金をどんどん使うが、減ればその分節約するから大丈夫だ。尤も独身で国民年金だけで貯金が全くない者は老後どうするのだろう。死ぬまで働き続け、働けなくなったら生活保護を余儀なくされる。サラリーマンも勤めていた企業が倒産して企業年金がなくなれば、同じような境遇に陥る。他人事ではない。高齢化社会が到来したというのに、日本の福祉は遅れている。 それでも、まだまだ生きているのは善いことだと思えるのが幸せだ。まだ30年は生きていたい、できれば90を過ぎるまで生きて、史上最高齢のノーベル賞受賞者になるなどという、ありえない夢も抱いている。 ところで、例年誕生日に届くビックローブからのおめでとうメールが今年は届かなかった。最近スパムメールが余りに多く、良く見ないでメールを捨てているからその中に紛れ込んでしまったのかもしれないが、使用料が少ないのでリストから削除された可能性が強い。現金なものだ。尤も、そんなケチくさいことを言っているようでは、まだまだ悟りには程遠い。幾つになっても煩悩が捨てられない自分が情けなくなるが、それが生きている証なのかもしれない。 了
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