「思えば遠くに来たもんだ」。ふとこの言葉を思い出す。武田鉄矢率いる海援隊の名曲、映画にもなった。この言葉が流行ってから、どれだけ時が経っただろう。ネットで調べると海援隊の曲のリリースが1978年、映画の初上映が80年とある。筆者が社会人になったのが79年、ちょうど同じ時期に当たる。そんなに昔のことだったのかと思うと、ちょっと感傷的になる。 頭髪は薄くなり、腹は弛み、定年も間近になった。当り前のことだが、同世代の友人、知人たちも、出世した、しないに関わりなく同じように歳を取り、たそがれ時を迎えている。社会も随分と変わった。高度成長時代は遥か彼方に去り、ひたすら拡大路線を目指してきた日本は今や抜本的な変革を迫られている。「コンクリートから人へ」この民主党のキャッチフレーズは、民主党にそれを実現する力量があるかどうかは別にして、日本の進むべき道を示している。 30年前と比べて社会は良くなっただろうか。街や駅を汚していた煙草の吸殻は姿を消し、駅のトイレは格段に綺麗になった。不死の病と恐れられていた癌の治癒率が飛躍的に向上し、「私は二度手術した」などという言葉がごく普通に交わされるようになり、今では医師や家族も告知に迷うことは少ない。環境汚染は依然として続いているが、水俣病のような一部地域で集中的に多数の患者、死者を出すような公害問題は影を潜めた。こうしてみると問題山積であるにも拘わらず、多様な新技術と新サービスの普及もあり、総体的には社会は良い方向に進んできたと評価できる。 これは、間接民主制、人権思想、科学技術、市場経済に負うところが大きい。しかし、そろそろそれも限界に近づいている。巷では政治主導か官僚主導かなどと盛んに議論されているが、政治家は選挙目当てに裏付けのない約束手形を濫発しがちになる。だから政治主導が政治家主導を意味する限り官僚主導よりも良いとは限らない。政治家の過剰な介入がインフレを生み出し社会に大混乱を引き起こした教訓から各国とも中央銀行の独立性を高めている。全面的な直接民主制が実現不可能なことは言うまでもないが、政治家主導でもなく官僚主導でもなく、一般市民が責任を持って行政に関与していく市民主導の政治を実現していかないと、どのような施策を打っても、どのような体制を作っても必ず袋小路に突き当たる。人権も、ただ権利を主張するだけでは駄目で、各人が権利は他人の権利を守る義務と背中合わせであることをしっかり認識して行動する必要がある。所詮人間の知恵などたかが知れており科学技術が幾ら発展しても出来ることは限られる。だから科学技術に問題解決を任せるようになったら人間は退化するだけだ。市場経済は利潤追求だけを原動力とする限り社会的不公正を是正できず貧困や環境破壊を再生産し続ける。戦後の日本を支配してきた価値観は良いものではあるが、批判的に再評価した上で深化させないと、保守反動の巻き返しに会い、未来の展望も開けない。 偉そうなことを言っても、頭髪の量と同様、筆者によい知恵がある訳ではない。しかし、今のままでは遣って行けないことくらいは推察できる。若者が30年後「思えばとんでもない所に来たもんだ」と言わないで済むように、皆で知恵を絞って良い社会を築いていきたい。 了
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