☆ 自然の驚異 ☆


 「橋」、「箸」、「端」、話し言葉では、みな「はし」だが、聞き間違えることはない。抑揚だけではなく、状況を考慮して、人は正しく判別する。登山の最中、誰かが遠くを眺めながら「はしがみえる」と言ったら、瞬時に「橋」だと分かる。相手の顔色から推測することもある。テーブルに並べられた豪勢な食事を前に何を探している者が、小さな声で「はし」とも「あし」とも聞こえる言葉を発したら、「箸」を探していると推察できる。

 しかし、状況や視覚だけではなく、触覚も話し言葉の判別に影響すると言われたら驚くだろう。ところがネイチャー誌の11月26日号の論文で、カナダと米国の研究者たちが実際そういう事例が存在することを報告している。皮膚の一か所に音がしない程度の微かな風を吹き付けると、「b」を「p」と聞き間違える確率が有意に高くなると言うのだ。

 人は、話し言葉を耳で聞くだけではなく、視覚、触覚、臭覚、味覚など全ての感覚を動員して聞き取る。感覚の協同作業は「甘い囁き」という言葉に表現されている。感覚の統合と調和は人間の、いや、生物全般の卓越した能力だと言えよう。たとえばコンピュータの単純な入出力処理と比較するとき、これが如何に驚異的な能力か、容易く分かる。そしてコンピュータが自然言語処理を苦手とする理由も見えてくる。

 聴覚と視覚、聴覚と触覚、いずれも全く異質な感覚で、感覚器官の構造も大きく異なる。さらに感覚を受容することと、計算したり推理したりする知的処理とは全く異質な性格を有する。このような様々な異色の能力が小さな脳の世界で統合されているのは自然の驚異と言わずして何と言おう。歴代の天才科学者・技術者を全て掻き集めても、こんな凄い能力を持つ機械を作り出すことはできない。

 なぜ生物にはこんな驚異的な能力が備わっているのだろう。それは進化の産物ということで説明するしかない。種の保存と繁栄、それが生物の唯一の目的だ。この目的に叶うように感覚が進化してきたとしたら、それらの感覚が相互に補完し合い統合されているのは当然だと言える。さもなければ感覚の種類が多くなるほど、成長と自己増殖の妨げになる。複製がそれだけ面倒になるからだ。統合され調和しているからこそ、複雑かつ重層的な構造にメリットが生まれる。

 それにしても触覚が言語理解に関わっていたとは驚きだ。英語がまるで駄目な私でも、腕でも抓りながら英語を聞けば、聞きとれるようになるかもしれない。いや、止めておこう。痛くて益々駄目になるだけだ。


(H21/12/2記)


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