☆ 携帯と文化 ☆


 電車の中で多くの者が携帯と睨めっこをしている。何が面白いのやらと思うが、理解できなくもない。

 メールやゲームは直接人と話しをするわけではないが、画面の先には人の姿が透けて見える。その一方で、携帯に没頭することで周囲の者の存在を拒否することができる。人は、人との交わりを求めながら、縄張りを守ろうとする。古から、この二つの傾向の鬩ぎ合いが時と場所に従い、多様な文化を生み出してきた。その意味では、携帯は現代日本の文化の象徴と言ってよい。

 他人を求め、他人を拒否する、これは人固有の行動様式ではない。個の存続と種の存続は生命の2大目標だが、しばしば両者は相容れない。空間的にも時間的にも有限な地上の生物は、個を維持すると同時に子孫を残すために、他との争いを避けることができない。過剰な競争は共倒れを引き起こす。かと言って過剰な利他主義も又共倒れになる。自己を主張し縄張りを守る行動と同時に、他との交わりを求める行動を取る、一見したところ矛盾して見える性質を併せ持つことが生命存続には欠かせない。そのことが、高度な知的能力を有する人間という種において、文化という様態を取るに至ったと考えることができる。

 そうは言っても、携帯やパソコンでメールやゲームに没頭している姿を美しいと思う者はいない。異国の地から、遠く離れた祖国に残した妻子に宛て、手紙をしたためる夫の姿を思い浮かべてみよ。そこには家族への愛情が溢れている。一方で、海外旅行先から携帯電話で家族に絵文字付きのメールを送る者を想像してみよ。軽薄さだけしか感じない。科学技術の進歩は人間の生活を便利にし、民主的で豊かな時代を創造した。しかしその一方で自然とともに文化を貧相なものにしたことは否めない。携帯と睨めっこしている自分の姿を想像して、たまには携帯やパソコンと無縁の生活をしてみるべきではなかろうか。


(H21/9/3記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.