3年ぶりに39度を超える熱が出た。賢者特有の知恵熱だと見栄を張りたいところだが、インフルエンザでもなく、ただの風邪らしい。馬鹿は風邪をひかないと言うから、馬鹿ではないと証明できたことだけが唯一の救いだ。 3年前は肺炎の一歩手前という感じで7日ほど寝込み1週間会社を休んだが、今度は2日寝込んだだけで熱は下がり会社も2日しか休まないですんだ。そうは言っても39度を超える熱は半端ではない。それが24時間も続くと不安が募ってくる。今は幸いなことに高齢だがまだ元気な両親が同居しているので食事の用意をしてくれるが、歳の順でこの世を去るとすれば、いずれは一人暮らしになる。そう思うとぞっとしない。食事を取ることもできず、医者に行くこともできず、誰も気がつかないうちに朽ち果てていたなんてことになりかねない。そろそろ真剣に老後のことを考えねばと本気で思う。その本気度は3年前よりずっと強い。歳を重ね環境が変わってきたからだろう。 そんなことを考えていたとき、大原麗子さんの訃報が耳に入った。こんな綺麗な人がこの世に居るのかと憧れた絶世の美女、そんな大原さんが誰にも看取られることなく一人寂しく亡くなったと聞くと物悲しくなる。心からご冥福を祈るしかないが、発熱時の不安が蘇ってくると他人事とは思えない。 退職して執筆や自分の好きな勉強に専念したいという気持は40代の半ばくらいからずっとあった。先が短くなるとそういう思いは益々強くなる。だがその一方で退職し人との関わりが著しく薄れてしまうのが怖くなる。「熱が高いから休む」とメールで会社に連絡すると、「無理せずにゆっくり休んでください」、「風邪ですか、大変ですね、早く治ることを祈っています」などという優しい言葉が返ってくる。自分が逆の立場のときを考えればすぐに分かる通り、言葉ほどみんな本気で心配してくれているわけではない。半分以上は外交辞令のようなものに過ぎない。それでも返事がくるだけで嬉しい。自分は世界に一人孤立して存在しているのではないと実感することができる。だが会社を辞めればこういう言葉に接することはできなくなる。両親がこの世を去れば、なおさら孤独になる。忙しい友人に発熱して寝込んでいることを知らせるのは気が引けるし、そもそも知らせる義務もないから、体調が回復するまで連絡をすることはない。だがそれは完全な孤独の中で病気と闘うことを意味している。そう思うとたとえ今の会社を退職したとしても、他人に対して何らかの責任を負っているという位置に常に身を置く必要があると痛感する。それにより他人との絆を失わないで済む。しかし、それは結局仕事をするということを意味する。自分の趣味を追っているだけでは駄目なのだ。 ところで、大原さんの場合はどうだったのだろうか。おそらく仕事から遠ざかり親しく話しをする相手が余りいなかったと想像される。そうだとしたら、お気の毒でならない。筆者のような者には雲の上の人だからたとえ近所にお住まいになられていたとしても、散歩のときに家を眺めるくらいで話し相手になろうなどという勇気はでなかっただろうし、大原さんが相手にしてくれたとも思えない。だが、それでも誰か親しく言葉を交わせる人が近所にいなかったのかと思うと残念でならない。そもそも自分自身、近所の人とほとんど言葉を交わしたことがない。この土地に半世紀も住んでいると言うのにだ。これからは積極的に隣近所の人たちと親しくなろうという気になる。 一人でいることなど全く苦にしないという者(筆者も好調なときはそういう者の一人なのだが)もいるが、体調が優れないとき、自分が老いていくことを痛感するとき、どんな気丈な者でも周囲に自分を支えてくれる者がいないと心細くなるに違いない。「孤独を愛する」という言葉が他にないくらいにぴったり当て嵌まるウィトゲンシュタインですら、盛んに友との交わりを求めていたことを日記などから窺い知ることができる。人は他人の温もりなしには幸福に生きることはできない。 人生80年と言われる現在、54という歳はまだまだ若いと言われる。80を過ぎた両親も70を超えたときには歳を取ったと痛感したが60のときには全然そう感じなかったと語っている。実際のところ、こういう年寄りくさいことを口にする割には、俗物であることでは若いころとほとんど変わりがない。若い頃に好きだったものは今でも好きで、趣味も余り変わっていない。「いい歳をして」と笑われながらウルトラマンのDVDを観ながらスペシューム光線を打つ真似をしている。大きな不安を潜在的に抱えながらも、結局のところ何とかなるだろうという実は根拠のない楽観論を支えに大らかに生きている。それが人というものなのだろう。勝手に大原さんのことをお気の毒だと言ったが、大原さん自身は最後まで楽しい人生を送っていたのかもしれない。それでも、一つだけ間違いないことがある。それは「39度の高熱、休む」とメールを送ると「無理をしないでゆっくり休んでください」という返事があることはとても嬉しいということだ。39度の発熱は苦しいが悪いことばかりではないようだ。 了
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