数学は得意だと思っていたがとんでもない勘違いだったと以前書いたが、大学院生時代のノートや成績表を引っ張り出して見直すと、得意と言うのはおこがましいとしても、当時はそこそこに数学に長けていたことを再認識する。そう言えば、同じ研究室の学友からも一目置かれていた(と思う)。今では学友の方がずっと出世して名をなしているのだが。 それなのに、今や、簡単な関数のフーリエ変換も覚束ない。本を見ないで独力で解こうと奮闘するが、ただ時間が経つばかりで埒があかない。已む無く本を覗いてみると、暫くすると計算法を思い出し、全てを見なくても何とかなるが、若き頃の鋭さはまるでない。今日も放送大学院の通信指導問題を解いていたのだが、一向に解が見つからない。散々苦労した揚句、漸く問題が間違っていることに気が付いたが、そこに行きつくまでに3時間以上費やしてしまった。人生が残り少なくなってきたというのに、本当にもったいない。いや、こんなせこい考えをする自分が惨めになる。 しかし、それでも数学の問題を解くのはとても楽しい。締切日までに提出が必要などというノルマがあるから辛くなるが、そんなものがなければ、将棋や囲碁と同じように楽しむことができる。一人でいつでも、どこでもできるし、勝ち負けなしだから悔しい思いをすることもない。しかも問題が解けたときの喜びは格別だ。時間がもったいないなどという詰らない考えを捨てれば数学は最高の娯楽になる。 ある著名人の父親が不治の病の床に就いた時、数学の勉強を始めたという。数学は楽しいだけではなく、高貴な真理へと私たちを誘ってくれる。「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」という言葉があるが、さしずめ「道」という言葉に最も相応しいのは数学だろう。理系の学問だけではなく、人文社会科学、果ては哲学まで、その有効性に疑問符が付くのにやたらと数学を使いたがるのが良く分かる。数学を駆使することで真理に接近しているという心地よい感覚を得ることができる。しかもそういう感覚の中から真に偉大な発見が生まれることも少なくない。 各人自分のレベルに合わせて毎日一題数学の問題を解き、段々とレベルアップしていくという習慣を身に付けたらどうだろう。ときには頭が痛くなり明日から止めると言いたくなる時もある。忙しくてそれどころではないという人も多い。しかし手頃な数学の問題を解くことくらい頭のトレーニングになることはない。しかも試してみると分かるが心を癒す効果もある。鬱になったら数学は無理だが、鬱を予防するために数学の問題を解くことはとてもよいメンタルヘルスケアになる。数学に熱中することで煩わしい世事を忘れて清らかな世界で遊ぶことができ、明日の希望が湧いてくる。さあ、書店に行き数学の本を捲って最初の一歩を踏み出そう。 了
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