☆ 痴漢冤罪にみる東京の異常さ ☆


 最高裁で、痴漢容疑で逮捕された大学教授に対し、1審、2審の判決を破棄して無罪の判決が言い渡された。判決の妥当性について論じるつもりはない。ただ感じたのは東京という都会の異常さだ。

 誰でも痴漢の容疑者にされる危険性があると言われる。しかし、女性が相手を陥れることを意図しない限り、偶然の接触を痴漢と誤解することはないと思う。恥ずかしながら、高校時代、中年男から痴漢された経験がある。男の手の動き、こちらが身体を逸らせてもそれに合わせて動いてくる男、偶然ではなく故意であるとすぐに分かった。「止めろ」と怒鳴りつけたら、男はそばを離れ、次の駅でこそこそと降りていったから故意であったことは間違いない。私の経験からすれば、偶然の接触を痴漢行為と勘違いすることは、ないとは言えないまでも、極めて少ないはずだ。疑わしきは罰せずだから、被害を受けたと訴える女性の証言だけを鵜呑みにして逮捕起訴するのはどうかと思うが、女性が嘘を吐いている、あるいは相手に恨みを持っていると信じる十分な理由がない限り、女性の証言を信じてよい。

 ところがどうも私の考えは間違っているらしい。駅のホームで乗り降りの際に後ろから押され意図せず女性の身体に触れただけで痴漢扱いされることがあると聞く。しかし女性は相手を陥れようと意図した訳ではない。ある意味、突然切れて、傍の男を痴漢に仕立て上げてしまっただけなのだ。

 こういう異常な事態は、この東京という都会が病んでいることを象徴している。周囲は見ず知らずの者ばかり、毎日同じ時刻に同じ電車に乗っても顔見知りになる者などいない。膨大な数の見ず知らずの者に包囲され、人々は思わず常軌を逸する。そして社会的地位や妻子がありながら痴漢をする男がいて、存在しない痴漢被害を訴える女がいる。いや痴漢する男や被害妄想の女だけではない。痴漢冤罪事件程度のことを大々的に報じるメディアもどうかしている。都会の毒が至る所に広がっている証拠だ。

 東京では、老いも若きも電車の中で携帯メールに熱中している。おそらく自分の孤独と周囲の見知らぬ者から与えられる恐怖を隠蔽し、正気を失うことがないように周囲に見えない壁を作って自らを守っているのだろう。

 東京都知事は東京でオリンピックを開催したいと言う。現代の東京が、商業主義に毒されたオリンピックに相応しい街であることを知事はよく御存じだ。しかし東京でオリンピックが開催されても一時的に熱狂するだけで、あとは虚しさだけが残ることになる。東京という異常な街、たくさんの者に囲まれていながら孤独な者がもがいている場所、廃墟にも似たこの都会を人間が住むのに相応しい平和な土地へと復興する道はないのだろうか。


(H21/4/18記)


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