土曜日の午後、穏やかな日差しに誘われて、デジカメ片手に桜見物に出掛けた。近所は桜の名所が多く人で賑わっている。特に井の頭公園近辺は鈴なりの人だかり。でも私の一番のお気に入りは井の頭線の三鷹台から久我山に沿って続く神田川の桜だ。それは見事な桜の街道で観る者を圧倒する。例年通りの光景だが、それでも感動が新たになる。持参したデジカメで写真を撮りながら、のんびりと散策を続ける。久我山駅の近くの公園では昨年も出会った町の将棋名人戦が開催されている。今年も口を挟みたいのを我慢して傍を通りすぎる。 気分が良い。聊か大げさかもしれないが、生きていて良かったとつくづく思う。桜の花の寿命は短い。でも1年待てば不死鳥のように蘇ってくる。よし1年頑張るぞという思いが新たに湧いてくる。 だが毎度のことながら残念なことがある。電柱と電線だ。華やかな桜の花に無粋にも電線が掛かっている。桜の樹を割るように電柱が聳え立っている。写真に感動を収めようとすると尚更それが気になる。何とか電柱と電線を避けて撮影しようと試みるのだが、安いデジカメと下手な腕前ではとても敵わない。デジタルなのだからその気になればパソコンで画像処理して電線と電柱を消し去ることはできる。しかしそれほどパソコンの技術があるわけでも、根気があるわけでもない。已む無く電柱が映らない位置に移動して写真に収めるが、良く見ると写真の上部に電線が写っている。すっかり興ざめになり写真は諦めて桜を眺めるだけにして先に進む。 電柱が妙に馴染む風景もある。外国からの訪問者は電柱と電線が折角の風景を台無しにしていると非難するが、一概にそうとも言えない。だが煌びやかに咲き誇る桜には似合わない。せめて桜が咲くころだけでも一時的に撤去することはできないものだろうか。勿論できない、だがそれを思うと余計腹立たしくなる。 そうは言っても、少し歩くと桜の花の美しさが電柱と電線のみすぼらしさを圧倒して心を晴れやかにしてくれる。そして性懲りもなく写真を撮る。 下手なデジカメ写真を眺めながら当日のことを思い出す。今年も気持ちのよい桜見物ができた。こんな穏やかで気持ちのよい日が毎日続いたらどんなによいだろうと心の底から思う。しかし不満足な日があるからこそ桜の感動がより一層際立つ。そしてただでさえ下手な写真を益々下手なものにしている興ざめな電柱も、もしかすると、桜の美しさを観る者の心に刻みこむために大切な役割を果たしているのかもしれない。 了
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