☆ コンセント ☆


 旅行に行くと電気の大切さが痛感される。携帯電話、シェーバー、iPod、デジカメ、すべて途中で電池切れになる。仕方なく充電器を携帯し、旅先で空いている電源コンセントを探して充電するのだが面倒で仕方がない。

 誰もが考えるのが光で動作するようにできないかということだ。しかし太陽から降り注ぐ総エネルギー量は膨大だが、単位面積当たりのエネルギーはごく僅かしかない。それは普通の電球を考えても想像がつく。100ワットの電球は小さな部屋ならば十分に明るい。しかし、その光を小さな受光素子で捉えて電気に変換しても微々たる電力にしかならない。光は四方八方に散らばり、しかも電気を光に変換するときと光を電気に変換するときに損失が生じる。だから部屋の光で携帯電話やシェーバーを長時間安定的に動作させることはできない。太陽光を使っても同じことだ。

 電池の保持時間を長くできれば問題は解決するが、こちらも限界がある。電池の技術と部品の省電力技術は進歩しており、保持時間は全般に長くなっている。しかし携帯電話やデジカメ、iPodなどは使い勝手を良くするために電池を小さくすることが不可欠で、頻繁に使っても1週間持つなどという具合にはいかない。シェーバーなどでは機械的な部分があるから内蔵電池ではどのみち大して持たない。

 どうやっても電気の問題は解決できない。ひたすら空きコンセントを探して充電するしか方法はない。しかしそもそもなぜそんなに電気を必要とする機器をたくさん携帯しなくてはならないのか。携帯電話などなくとも宿泊する旅館には電話が備え付けられている。電気シェーバーなど使わなくても懐かしい手動式髭剃りがある。デジカメがなくとも電気を必要としない昔ながらの優しい色合いの味わい深いアナログ式カメラがある。iPodなど旅先まで持っていく必要があるのか。観光地に行くのであれば素晴らしい景色を眺め、綺麗な水と空気で身体を清め、美味い料理に舌鼓を打つ、それで十分ではないか。

 人は文明の利器で便利な生活を送っているが、代償としてそれに振り回されている。その最も顕著な例がこの忌々しい電池なのだ。

 とは言ったものの、一度身についた習慣を変えることは難しい。昔に帰ることはできず、携帯電話やデジカメを捨てることはできない。

 こうして今日もまた人々はコンセントを探して歩き回る。現代文明を象徴するものは何かと尋ねられたとき、コンセントを探している人と答えるのは的を射ているかもしれない。


(H21/3/8記)


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