☆ 火星の地球大接近に寄せて ☆


 火星が6万年ぶりに地球に大接近している。わくわくしながら望遠鏡を覗き込んでいる人も少なくないだろう。  いまから6万年前、まだ人類は原始時代にあった。6万年の間に、良くも悪くも、人間は自然の謎を解明して、地球環境を人間の活動で大きく変えた。6万年という時間は人間の一生からすればべらぼうな長さだが、宇宙論的な視野に立つとほんの一瞬にすぎない。よく6万年程度の時間でこれだけの文明を築き上げたものだと感心する。だが、6万年後の世界はどうなっているだろう。人類は生き延びているだろうか。

 知的生命体などと威張っていても、人間も、火星や微生物と同じ宇宙の物質の一つに過ぎない。だから、人間が自然法則を発見して様々な発明をしてきたのも、地上を大きく変えてきたのも、人間理性の目的を実現するためなどではなく、ただ、宇宙の法則に従ってきただけなのだ。だから、人間が6万年後も地上で生きながらえているかどうかも、自然法則により決まるのであり、私たち人類の意志で決まるわけではない。

 だからと言って好き勝手なことをしていいということにはならない。人間は、自然法則に従って、文明社会を作り地球環境に巨大な影響を与えた。同じ自然法則が人間にその責任を担うように指示している。人間がその責任を担うに足る存在で、太陽が水素による核融合エネルギーを費やし、赤色巨星となり地球を飲み込み、地上で生命が存在できなくなる日まで、他の生物と共存しながら美しい地球を守っていけるか、それとも遥か以前に絶滅するか、それも結局は自然法則で決まる。

 その答えは誰も知らない。人間の科学もまだその答えを知るところまで進歩していない。いな、その答えを知ることは人間には難しすぎて永遠にできないだろう。だからこそ、私たちは、人類が地球という舞台で重要人物を演じるに相応しい存在であることを信じて生きていく必要がある。

 宗教改革の旗手カルヴィンは予定説を説いた。神に救われる者はすでに決まっていて、人がいまさらじたばたしても決定を覆すことはできない。これがカルヴィンの教えだった。だが、すでに決まっているのならば何をしても同じだということにはならない。

 人々は、自分が救われる側にある証拠を欲する。自分が善き人間になるために精進しているということが、その証拠になるとカルビィンの信者たちは考えた。予定説は怠惰で放縦な生活を信者にもたらしたのではなく、清潔で質素で高い倫理性を持つ生活をもたらした。それが資本主義の発展に大いに寄与したというのが著名な「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」でマックス・ウェーバーが論じたことだった。

 現代人も宗教改革の時代に生きた人々と同じ場所にいる。すべてが自然法則で決まるのだから好き勝手に遣ればよいと考えるか、人間が善き存在である証拠を求めて理性的な調和の取れた生活を求めるか、この二者択一が迫られている。

 どちらを選択するか、それすら、自然法則によって決まるのであり、人間の意志には無関係だと言えるかもしれない。いな、そのとおりである。だが、私は、人間が後者を選択するように定められていることを心から望む。



(H15/8/27記)


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