☆ ゴジラ ☆


 正月映画からゴジラが消えて久しい。昭和30年生まれの筆者よりも一つ年上のゴジラ(昭和29年第一作公開、東宝作品)は身近な存在でその勇士を映画の大スクリーンで観ることができないのは寂しい。

 ゴジラシリーズがマンネリ化していたのは事実だ。最終作品「ファイナルウォーズ」を始めとしてファンをがっかりさせる駄作が多かった。しかも、どんなに工夫しても核の恐怖と人間の身勝手さを鮮烈に描き出した傑作、第一作「ゴジラ」を超える作品は作れないだろう。それでもゴジラという日本が生み出した怪獣は世界の映画ファンを長く魅了してきた。このまま消えていくのは如何にも惜しい。ゴジラだけではなく、自然界の守護神モスラ、圧倒的な強さと格好よさを誇る敵役キングギドラ、(大映映画だが)人類の味方ガメラと敵役ギャオス、こういった魅力溢れる怪獣たちは子供だけではなく大人にも恐怖と背中合わせの不思議なカタルシスをもたらしてきた。

 仮面ライダーやスーパー戦隊シリーズなど人間大の特撮ヒーローが活躍する作品が今でも高い人気を博しているのに比べ、怪獣だけではなく巨大ヒーロー、ウルトラマンも影が薄い。それはおそらく怪獣や巨大ヒーロー物が流行らない現実があるからだ。100メートルを超える高層建築物が溢れる現代、体長100メートル以下の怪獣やウルトラマンは威圧感を与えるほどに巨大とは言えない。初代ゴジラは体長40メートルだったが平成に入って100メートルまで巨大化した。それでも今では100メートルでは巨大とは言えない。40メートルのウルトラマンは尚更だ。だからと言って体長500メートルなどにすると現実感が薄れ興を殺ぐことになる。この辺りが難しいところで、文明の肥大化が怪獣やウルトラマンの活躍場所を奪い去ったと言える。さらに忙しない現代人にとって、巨大な怪獣や人間が変身して巨大化するウルトラマンは余りにも非現実で感情移入が困難なのかもしれない。株や為替の動きに一般市民までもが関心を寄せる現代、巨大な怪獣より人間大のヒーローやその敵の方が人々の共感を得やすいのだろう。

 巨大な建築物は文明の象徴で、株や為替取引の一般市民への普及は情報化社会の象徴だ。どちらも時代の必然で、その時代の必然が怪獣たちを葬り去った。だが文明は完全ではない。それは解決困難な多くの問題を抱えている。だとすると怪獣やウルトラマンが復活する日が来ることを期待してもよい。巨大な怪獣は人間社会が日ごろ隠蔽している影の部分を強烈に暴きだす。ゴジラ、ラドン、ウルトラマンのジャミラやウー、セブンのメトロン星人、ギエロン星獣、ノンマルト、抑圧され隠蔽された者たちが忘却の闇から圧倒的な力として蘇る。

 そのときはやはりゴジラから復活してもらいたい。何と言っても原点なのだから。



(H20/12/3記)


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