☆ 夢(その2) ☆

井出薫

 誰でも夢を見ると言う。文学や思想書などでも盛んに夢が題材として取り上げられる。だが本当に私以外の人も夢を見るのだろうか。

 「当たり前だ、だから夢が文学や哲学の題材になるのだ」と誰もが答える。だがコンピュータに「君は夢を見るか」と尋ねたら、「勿論だ、僕はほとんど毎日夢を見る」と答えるかもしれない。そう答えるようにプログラムをしておけばよい。だが、コンピュータの音声合成装置からこういう答えが返ってきても、誰も、そのコンピュータが夢を見ているとは考えない、ただそういう風に答えるようにプログラムされているだけだと考える。

 では、私以外の人間が、コンピュータとは違い、私と同じように夢を見ることをどうすれば証明できるだろう。研究室に行き、睡眠中に脳波や脳内血流量を検査してもらう。夢を見ていると推測される特徴的な変化が起きたらその場で起こしてもらい、夢を見ていたかどうかを確認する。こうして揃えたデータをもとにして、別の人でも同じ結果が得られるかどうかを検証する。同じ結果が得られたら、その人も夢を見ると結論付けてよい。おそらく、この実験は肯定的な結論を得て無事完了する。だが、これで本当に他人も夢を見ることが証明されたのだろうか。

 違う。脳波や血流量の変化は「夢」ではなく現実だ。「いや、そうではなく「夢」という現実に生じている現象を科学的に調べているのだ」と言われるだろうが、そう言ったところで事態は変わらない。脳波や血流量の変化は生理学的な現象であり、私が就寝中に見る夢とは似ても似つかない全く異質な存在だ。脳波や血流量を記した記録のどこを探しても「私が見る夢」なる存在の兆しすらない。それに夢を見ているときの特徴的な変化を察知した研究者は私と同じように夢を見ているのではない。

 こうして私以外の人間も夢を見るというのが本当かどうか怪しくなる。私以外の人間は全員コンピュータのように「私も夢を見る」と答えるようにプログラムされているだけなのかもしれない。ただ、もしそうだとすると、私自身も本当に夢を見ているのか疑わしく思える。デカルトは全てを疑って自分の存在だけは確実だと確信したが、私は逆に全てを疑ったら私自身の存在が疑わしく思えてきそうだと感じる。



(H20/11/3記)


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