☆ テレパシー ☆

井出薫

 筒井康隆の傑作「七瀬ふたたび」がNHKで再ドラマ化される。テレパシーつまり人の心を読む能力を持つ者がいたら、プライバシーなど何の意味もなくなる。疾しいことがある者は心が休まるときがないだろう。テレパシーがあれば便利だと思う反面、そんな能力が存在したら社会は成り立たないようにも思える。だが安心してよい、テレパシーなど存在しない。

 「他人の心を読む」とはどういうことだろう。心が、脳や他の身体器官から完全に独立した存在で、自律した法則に従って機能しているのであれば、それをコピーして読み取ることは論理的には可能になる。だが心とは、脳を中核とした身体の働きの現れであり、外部から無数の影響を受ける相対的・部分的に自律した存在でしかない。それゆえ、他人の心を読むためには、極端な言い方をすれば全宇宙、少なくとも心を読む相手の身体に因果的関連のある宇宙の全事象を取り込むことが不可欠となる。だが、二人の人間は少なくとも身体が異なり、存在する場所が違うから、これは論理的に不可能であることが帰結する。よってテレパシーなる能力は存在しない。精々、相手の顔色をそれとなく伺って、相手の考えや気分を読み取ることが上手い者、つまり気配り上手な者あるいは勘の良い者がいる程度のことに過ぎない。

 そもそもテレパシー能力者が登場する小説を読んでいると、心を読む相手は必ず心の中で言葉を使っていることになっているが、何か真剣に考え事をしているときを除いて、心の中で言葉を使っていることはほとんどない。気取ったご婦人が日頃から仲の悪い他の女性の振る舞いを見て「豪華なドレスを着ても全然似合わないことに気が付かない。馬鹿な女。」などと心の中で呟いている場面が良くあるが、ご婦人は本当にそういう言葉を心の中で呟いているのだろうか。ほとんどの場合そうではない。そのときは漠然とした不快感、軽蔑感を抱いていたに過ぎない。ただ、後から説明を求められれば、ご婦人はその当時この言葉で表現できるような気分だったと答えるだけのことだ。(あるいは日記にこういう言葉でそのときの出来事を書きとめるかもしれない。)人は一々自分の気分や考えを自分に伝え聞かせることはない。

 また、場の量子論の数式を思い浮かべて未知の素粒子の生成確率を頭で計算している者の心をテレパシー能力者が覗いたらどうなるだろう。テレパシー能力者が物理学の専門家でない限り、全く理解不能な記号が頭を飛び交って気がおかしくなるだろう。おそらく自分にはテレパシーなどない、頭が混乱しているだけだと思うに違いない。

 心とは独立した存在者ではない。身体を通じて自然環境と関わりを持ち、他者との交流を通じて社会構造や伝統と不可分の関係を持つ。さらに過去の体験が常にそこには関わっている。だから心を読むには本人そのものにならない限り不可能だ。いや、本人ですら、自分の心がどうなっているのか分からない。数分前に何を考えていたか忘れてしまうことだってある。心は言葉のように聞き取ったり、読み取ったりすることができるものではない。いや文字ですら、知らない外国語や専門用語の場合は読み取ることができない。こういうことを考えていけば、他人の心の動きがどのように空間を超えて伝わるのかという物理学的な難問を別にしても、現実的に考えてもテレパシーなどという能力がありえないことが理解できる。

 テレパシーを本気で信じている人にときどき出会うことがある。確かにSFの題材としてテレパシーは大変に面白い。しかし、それはあくまでもSFの世界にしか存在しないことを忘れないでほしい。


(補足1)
 本稿では、テレパシーが存在しないことを証明したかのような書きぶりをしたが、厳密に言えば完全な証明ではない。この証明にはいくつかの(証明抜きの)前提がある。たとえば、「身体とは完全に独立した死後も生き残る霊魂が存在し、心とはその現れである」という考えは成立しないことが証明の前提とされている。不滅の霊魂が存在すればここで論じた証明は成立しない。ただ不滅の霊魂が存在したとしても、場の量子論による生成確率の計算の例から推測されるとおり、各人の霊魂が異なることを考えると、完全に他人の霊魂に自分の霊魂を同化することができない限り(あるいは自分の霊魂と他人の霊魂を包含する超越的な霊魂という、より高度な次元へと昇華しない限り)、やはりテレパシーは不可能であるという帰結になる。そして私と貴方が異なる人間であることを認める限り、私と貴方の霊魂が異なっていることは否定しようがない。そういうことを考えると、たとえ不滅の霊魂が存在したとしてもテレパシーの存在は否定的と言わなくてはならない。

(補足2)
 声を使わないで頭の中で言葉を繰り返すことでそれを他人に伝えることはできないだろうか。それをテレパシーと定義するのであれば可能ではないか。こういう考えがあるかもしれない。確かに頭の中で「その鞄を持ってきてくれ」と語っているとき、脳には何かが起きている。それを電気信号に変換して他人に伝えるということは可能かもしれない。だがそれは機械装置を使うものであり、SFで登場するテレパシーとはいささか趣が違う。

(H20/10/5記)
(H20/10/8一部改訂)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.