☆ 夢 ☆

井出薫

 夢は文字通り夢に満ちている。古代よりたくさんの哲学者や芸術家が夢を題材に議論をし、創作をしてきた。科学が発展した現代もその謎は解明されていない。ノンレム睡眠期に夢を見ることは分かっているが、夢が出現するメカニズム、夢の役割などはほとんど分かっていない。

 フロイトは、夢は欲望の充足だと考えた。そして夢の分析を通じてその人物の深層心理を探ることができると考えた。DNAの二重螺旋構造の発見者の一人であるクリック博士は、夢は不要な記憶の消去に利用されると推測している。両者は相対立するものではなく、フロイトは目的論的な観点から夢を解釈し、クリックは夢を生じる脳内過程を分析していると捉えることができる。とは言え、個人的な経験からすると、どちらも説得力があるとは言い難い。

 夢の内容などほとんど忘れてしまっているが、いくつか印象に残っている夢がある。一番良い夢は、憧れの女性と結婚式を挙げている夢と、見ず知らずの若い美女と海岸を散歩している夢で、どちらも目が覚めてそれが現実でなかったことを本当に恨めしく思ったものだ。一方、一番悪い夢は、父親を後ろから羽交い締めにして殺してしまった夢と、部屋に乱入した強盗に首を絞められ殺される夢で、こちらは現実ではなく本当に良かったと心から感謝している。父親殺しはフロイトのエディプスコンプレックス論を裏付けるものとして解釈できるかもしれないが、認知症になり徘徊している老人を家族が後ろから抱えているドキュメンタリー映像とその数日前のミステリーが混合したに過ぎないと思われる。泥棒に殺される夢も怖いテレビドラマのシーンによく似ていたと記憶する。何より一番頻繁に見る夢はトイレに行きたくなるという夢で、目が覚めると尿意や便意を催している。これなどは身体の状態がそのままストレートに夢に現れているのだろう。夢に忘却した過去の記憶や潜在的な欲望が紛れ込んでいる可能性はあるが、夢の全てに深層心理が現れるというのは明らかに考えすぎというものだろう。フロイトの理論は科学や医療技術よりも、文学や芸術、哲学思想に多大な影響を及ぼした点で評価されている。事実フロイト的な発想は文学ではいまやごく当たり前のものとなっている。一方クリックの記憶消去説もトイレに行きたいという夢を考えると当てはまらない。これは明らかに不要な記憶ではなく有益な身体からの警告だからだ。夢を見なければ、いい歳をして布団の中でお漏らしをしているかもしれない。尤も、こういう生理的な夢は、フロイトやクリックが議論の対象としている本格的な夢ではなく、覚醒前の白昼夢のようなもので二人の理論を批判する根拠にはならないと言われるかもしれない。この辺りは私の脳を調べてもらわないと結論は出ない。大量のお茶かコーヒーを服用してから眠りに就き脳波検査やPET検査をしてもらうと研究に役立つかもしれない。尤も、神経質な私は実験室では寝付けそうもないし、都合よく尿意を催すかどうかも定かではない。だからデータを揃えるためには長期間の実験が必要になると予想され、さすがに実行する気にはならない。

 おそらく夢には大した意味はない。美女と二人でいる夢などは確かに願望の現れと解釈できないわけではないが、それならば毎日美女と二人でいる夢を見てもよいはずなのに、そういう訳にはいかない。ミステリーやホラーの怖い場面が夢に出てくると、不要な記憶の消去ではなく記憶の強化に繋がる。いずれにしろ、夢は気紛れで明確な目的や機能などないと考える方が自然だ。

 荘子は、自分(荘子)が夢で胡蝶になるのか、胡蝶が夢で自分になるのか分からないと言っている。勿論、普通は現実と夢を混同することはないし、論理的に証明はできなくとも現実問題として夢の世界と現実世界では明確な違いがある。とは言え「私」という場所から見れば両者の間にそれほど大きな違いがあるわけではない。どちらも脳の中で何かが起こり、意識が生じ、夢を見て、現実を見る。覚醒時に見る現実の世界とそれに対する私たちの応答は極めて多様で一つの言葉でそれを説明することなどできない。個人のリアルな生に着目した哲学説として、「生の哲学」、「実存哲学」、「現象学」などを取り上げることができるが、共通した誤謬は、現実にせよ夢にせよ意識現象一般を一つの理論体系で理解できる、理解しなくてはならないと考えているところにある。意識現象は、雑多で流動的な諸々の要素と連関からなるもので、それを包括的に論じることはできない。そしてまさしく夢もその一部をなす。それは特別な意味を持つわけではなく、一つの理論で説明できるようなものでもない。

 「生に意味はあるか」これは哲学者や文学者のみならず全ての者を悩ませる問いだが、「夢に意味はあるか」という問いには「ない」と答えてよい。意味がないからこそ、私たちは自由に夢に色々な意味を読み込むことができる。そこに夢の面白さがある。それにしても、どうして美女と楽しく散歩する夢をみることができないのだろう。眠りに落ちる前にそういう想像を繰り返し繰り返し頭の中に思い浮かべるのだが、見る夢と来たら、トイレに行きたい、試験問題が分からない、仕事ができないと周囲から叱責される、そういう類の苛々するものばかりだ。やはり社会が悪いのかもしれない。



(H20/9/19記)


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