☆ 敬老の精神 ☆

井出薫

 79になる母親が「若い頃は外出して道に迷った時や店の場所が分からない時、見知らぬ人に尋ねることが恥ずかしくて出来なかった。でも今は平気になった。」と言う。うちの母親だけではなく、こういう声をよく耳にする。

 歳を取ると恥ずかしいという気持ちが薄れるのだろうか。いや、そういう訳ではない。近頃の若者は敬老の精神に欠けるなどと文句を言う者がいるが、間違っている。老人から何か尋ねられると、若い人たちは親切に教えてあげている。筆者の年代でも同じで、同年代や年下の者(但し子供と若い女性は除く)には素っ気ないが、老人に尋ねられると丁寧に教える。店の場所が分からないと言われたときには現地まで案内することもある。だから歳を取ると他人に尋ねやすくなるのだ。

 時代が変わっても、人から敬老の精神が失われることはない。勿論それには教育の影響があるだろう。だが、それだけではない。おそらくそれは本能的なものに根差すのだ。

 自然界の中で、人は狡猾で余り性格が良い動物ではないが、敬老の精神は人という種の数少ない優れた性質の一つと言って良い。敬老の精神が、利他的な行動を育み、暴力を防止することに繋がっている。

 もうすぐ敬老の日が遣って来る。敬老の日には人という存在も案外悪くはないと見直すことができる。ただ自分が敬老の対象になる日が近づいていると思うとどこか寂しい気がするのは何故だろう。



(H20/9/13記)


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