☆ 人間の力 ☆

井出薫

 同僚がこんなことを言う。「陸上では棒高跳びが一番凄い競技だと思う。100メートルなど、記録を別にすれば、遣ろうと思えば誰でもできる」。「そうかなあ」と首を捻る周囲の声に思わず「馬は100メートルを7秒で走れるが、棒高跳びはできない」と半畳を入れたが、無視されただけで全く受けなかった。

 人間の能力からすれば、100メートル9秒6は驚異的な記録だが、チーターなど俊足で鳴らす自然界の生き物からすれば大したことはない。他の陸上競技でも人間に優る動物は幾らでも居るだろう。だが棒高跳びだけは他の動物では無理に思える。その意味では同僚が言うとおり棒高跳びが最も凄い競技かもしれない。

 とは言え、人間の本当の力は、単純な身体能力ではなく、知性と知性に支えられた精神力にある。いくら身体能力に恵まれていても、合理的なトレーニング、試合に向けた調整、スタートダッシュの技術や他選手との駆け引き、集中力などが秀でていないと100メートルを9秒6では走れない。ボルト選手が、勉強が得意だったかどうかは知らないが、五輪で驚異的な世界記録を樹立出来たのは身体能力が図抜けていただけではなく、知力が秀でていたからだ。チーターはなるほどボルト選手よりも遥かに速いだろう。だが一寸した周囲の雑音に惑わされて走路を外れてしまう。余程しっかりと人間がリードしないと動物には競技はできない。

 陸上は最も単純な競技と言えるが、それでも、そこで競われているのは単なる身体能力ではない。「身体能力」プラス「知性と精神力」が競われているのだ。ただ、くれぐれも「身体能力」プラス「知性と精神力」プラス「薬効」が競われることがないように願いたい。勝つために薬を使うのも知的行為には違いないが、それは悪しき知だ。



(H20/9/8記)


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