☆ 日本語改造計画 ☆


 日本人が英語を苦手とするのは、日本語が表意文字(漢字)と表音文字(ひらがな、カタカナ)を使う世界でも珍しい言語だからだという意見がある。

 そこで、40年間も英語に悩まされてきた者として日本語改造計画を思い付いた。それは漢字を廃止しひらがなで統一するという計画だ。今さら英語が得意になるのは無理にしても、未来を担う子供たちが英語を上手に話せるようになれば、日本人は世界中に友人ができ平和で楽しい毎日を過ごすことができる。

 「私は貴方を愛している。」これをひらがなだけで表現すると「わたしはあなたをあいしている。」となり読み難い。そこで英語に倣い単語と単語の間に空白を入れる。「わたし は あなた を あいしている。」冗長な感じがするが、これならばすらすら読める。英語への変換も容易になる。

 だが致命的な欠陥に気が付く。「橋がある」と「箸がある」の区別ができない。「橋」は「はし1」、「箸」は「はし2」など番号を付けて区別することは考えられるが、「はし」には橋と箸だけではなく、端、嘴、梯など他にも複数の漢字があり、番号を覚えるのが一苦労になる。こうして私の日本語改造計画はあっけなく頓挫した。

 しかし会話では橋でも箸でも「はしがある」と話す。「橋」と「箸」では抑揚が違うが、その差は僅かで聞き間違えることはよくある。「カレー(ライス)」だと期待していたら、「(魚の)カレイ」が出てきて(あるいはその逆で)がっかりした経験の持ち主は少なくなかろう。

 会話では、状況でどの言葉か分かる。山頂で誰かが「あそこに、はしがある」と言ったら、誰もが「橋」だと分かる。また、これを逆手にとって洒落を言うこともできる。一方、書き言葉(文字)は決め手となる状況が欠落した場面で使用されるため、状況説明を付け加えたり、言葉を細分化したりして欠落した情報を補う必要がある。表意文字や同音異義語の存在意義は、情報の補足という観点から説明できるだろう。

 書き言葉(文字)を発明することで、人は世界を客体化し、情報収集能力を飛躍的に高めてその蓄積を可能とした。これにより文化の継承と伝播が容易になり、人類は高度な文明へと飛翔した。文字は人と人との原初的な紐帯を破壊したと批判されることもあるが、世界的規模の文明には欠かせない。

 表音文字と表意文字が混在した日本語は、文明が世界化したことの象徴と言えるかもしれない。だがそのお陰で日本人が英語で苦労しているとしたら、そこに文明のイロニーと人間の限界(=客体化の限界)を感じざるを得ない。


(H20/8/15記)


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