☆ 身体の不思議 ☆


 身体の不思議などと言うと、思春期の少年少女のようで気恥ずかしいが、この歳になると身体の不思議をつくづく感じるようになる。

 とは言っても勿論若いときに戻るわけではない。寧ろ言うことを聞かない自分の身体が腹立たしくなり、どうしてそうなるのだと文句が言いたくなる。一昨日の朝、電話の音で目を覚まして電話の応対をした後、別に寒いわけでもないのに突然くしゃみが出た。若い頃から貧弱な身体と軟弱な精神に似合わず、くしゃみだけは豪快で、くしゃみをすると周囲が一瞬水を打ったように静かになる。喧しい、唾を飛ばすなと評判は芳しくなかったが、周囲を睥睨する豪快なくしゃみを心密かに自慢に思っていた。だが、今は違う。くしゃみをした瞬間しまったと思ったが遅かった。腰をぐきっと遣ってしまったのだ。猛烈な痛みに襲われてその場に立ち竦む。痛くて横にもなれない。腰を動かさないようにして木偶の坊のように上半身を固定したまま、そろりそろりと移動して薬を入れた袋からいつも薬を指で探して取り出す。湿布薬を腰に貼り、痛み止めと胃腸薬を合わせて服用する。柱に身体を預けて瞼から涙が滲むのを意識しながらじっと耐える。暫くじっとしていると痛みが治まってくる。少し腰が動かせるようになったので、そのまま布団にもぐりこんで痛みが取れるのを待つ。幸いなことに1時間ほどでほとんど痛みはなくなり身体も自由に動かせるようになる。そのまま大人しく家でじっとしていれば良かったのに、もう大丈夫だろうとお茶の水まで出掛け、駅前の十字路で信号が変わりそうになったので横断歩道を走って渡ろうとしたのがいけなかった。筋肉が痙攣したように動かなくなり猛烈な痛みに襲われる。危うく横断歩道の途中で立ち往生するところだったが必死に堪えて渡りきる。だが、そこから動けない。ちょっと動いただけで猛烈な痛みが脳天まで駆け上がる。

 人を待っているような振りをしてその場で暫く立ち止まり痛みが少し引いたところで腰を動かさないようにのろのろ歩き電車に乗りそのまま帰宅する。家に辿り着くことができたのが不思議なくらい心身ともに疲れ切っていた。

 くしゃみはなぜ出るのか。たぶん鼻か喉に入った刺激物を外に排出するためだろう。だがあれほど派手に外に吐き出す必要はない。大体くしゃみが人間の生存に不可欠な生体反応ならば何故腰に負担が掛かるのか理解に苦しむ。そもそも腰はなぜ急に痙攣したように痛くなるのか。ゆっくりと時間を掛けて痛くなってくれれば、お茶の水まで出掛けるなどという無茶はしないですんだ。とにかく、いずれも進化の過程で淘汰された結果とは到底思い難い。どれもこれも役立たないものばかりではないか。人間の身体は合理的に出来ているように見えるが、実際はそれほどでもない。進化して改善しなくてはならないところがたくさんある。それなのに人類は地球上で一番威張っている。ここに人類の身体の不思議が存在する。

 ところが、近所の整形外科に行き愚痴をこぼしたら、あなたは特別だと言われた。腰椎の骨が普通の人は5個あるのに4個しかないのだそうだ。嘘だろう、骨を盗まれるほどドジではないと思ったが、医師曰く「先天的なものだと思う」とのこと。母親の胎内にいるうちに誰かが盗んだらしい。

 どうやら人類という生物種の普遍的な問題ではなく、私の身体の先天的欠陥と老化に問題があることが判明した。だがこんな欠陥だらけの身体でも50半ばまでそこそこ元気に生きているのだから、やはり身体は不思議だ。


(H20/7/3記)


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