夜、戸を開けた隙に蛾が舞い込んできた。追いかけ回して外に追い出そうとしたがどこかに消えてしまう。暫くするとアイロン台にとまり休んでいるのが目に入る。蠅たたきで叩き落とす。潰れて死んだと思ったが、まだノロノロと畳の上を這っている。ティシュで摘んでゴミ箱に捨てる。 気分が晴れない。外に出してやることはできなかったのかと悔やむ。蛾は私に危害を加えようとしたわけではない。蛍光灯の光につられて不運にも部屋に舞い込んでしまっただけだ。それに蛾の鱗粉でアレルギーを起こす体質でもないから放置しても害はなかった。それなのに蠅たたきで叩かれ、何とか逃げようとしているところをティッシュで押し潰されて絶命、余りも哀れな一生ではないか。 人も蛾と同じような存在かもしれない。アウシュビッツや南京、関東大震災時のデマで虐殺された者たちはこの蛾のように無力な存在だったのではないか。ナチや戦前の日本の軍国主義は人為的な出来事だが、地震や伝染病のような自然災害でも人は無力な存在になる。そんな大事件でなくても、昨日まで元気溌剌、前途洋々たる者が事故や急病であっけなく逝ってしまうこともある。スピノザは信心深い者でも不信心な者でも災害があれば同じように死んでしまうと身も蓋もないことを言っているが紛れもない真実だ。 正直言えば、良心の痛みに苛まれているわけではない。それほど繊細な精神の持ち主であればもう少しましな行いをしている。それでも蛾と人間は私たちが思っているほど遠い存在ではないと感じる。ほんの少しでも優しい人間になれるように努めよう。尤も蛾が舞い込んできたら同じことを遣りそうな気がする。取りあえず戸の開け閉めに注意しよう。 了
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