☆ 思えば危険に満ちている ☆


 4月10日早朝国分寺駅構内で火災があり中央線が7時間に亘り不通になったときのことだった。

 宿直勤務が明けた10時半過ぎ、帰宅を急ぐ私は新宿から中野まで総武線、そこから先は比較的空いている東西線に乗り換えて三鷹まで行くことにした。うまい具合に中野駅で停車中の東西線に乗り換え座ることができた。座るとすぐにドアが閉まり発車を待つばかりとなる。ところが車掌が「もしもし、もしもし」と運転手に呼びかける声が車内のスピーカーを伝わって耳に届いてくる。電車は一向に動く気配がない。暫くして「運転手がいなくなったので、ドアを開けます」というアナウンスが流れる。実に正直な車掌さんだ。車内でも笑い声が漏れる。尤も眠くて一刻も早く自宅の布団に潜り込みたい私はそれどころではない。ただでさえ中央線の事故で遅れているのにこれ以上待たされては堪らない。

 電車はそのまま10分以上中野駅に停車していた。さきほどは正直に「運転手がいなくなった」とアナウンスした車掌さんだが、マニアル通り「只今発車の準備をしていますので暫くお待ちください」と如才ない案内に変わった。その間に乗り込んできた乗客は経緯を知らないから「発車の準備って何をしているの」などと話し合っている。何となく心が和んだ私は「実はね、運転手がいなくなったのですよ」と話しかけたくなるのを我慢する。

 運転手が逃げ出すはずがない。中野が終点だと勘違いしたということはありえるが、それであれば車掌の呼び出しですぐに戻ってくるはずだ。10分以上停車したのは代わりの運転手を手配していたからに違いない。だとすると中野まで運転してきた運転手が急病になったとしか考えられない。

 そう思うとぞっとする。私が子供の頃は運転席には二人の運転手がいた。いつしか合理化で一名体制になったが、いざという時の緊急体制は確立されているのだろうか。車掌が急ブレーキを掛けることはできそうだが、前方が見えない車掌に的確な判断ができるとは思えない。そうなるとITを使って遠隔で緊急停止をするしかない。だが乗客を危険に晒すことなく実行するのは至難の技のような気がする。

 よく考えると私たちの周囲は危険に満ちている。家に帰って早く寝るという判断は間違っていない。尤も家が安全という保証はどこにもない。


(H20/4/11記)


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